200526日は、元南海の皆川睦雄氏が、敗血症のため亡くなった69歳。
    皆川氏は、1954年に南海に入団、同期には野村克也、宅和本司がいた。最初の2年間は、白星に恵まれず、自由契約も覚悟したが、鶴岡監督の「皆川はプロで生きて行こうと努力しているし、まじめにやっている。来シーズンあたりは活躍するはずだ、ワシが保障するから給料は倍にしてやれ」の一言で、解雇どころか給料倍増し、奮起する。
     3年目1956年に、11勝を挙げると、安定した成績を残し、68年には、31勝を挙げた!そこから50年間「30勝投手」は出てない。いや、今後50年先も達成者は出ない、71年に引退。。
    引退後は、阪神、巨人、近鉄で投手コーチを歴任。台湾のプロ野球チームでも、コーチ務めた。11年に殿堂入り。
   アンダースローに転向し、通算221勝は、山田久志に抜かれるまで、最多記録だった。小さく曲がるスライダーを習得し、ノムさんが言うにはカットボールで、「世界初カットボール」の誕生。あの時代は、投手は、お山の大将でしたが、皆川氏は、ノムさんがいなければ、ここまでできなったと述べていた。特筆すべきは、2013年のマー君の24連勝も凄いが、打者有利になりかけの時代に、31勝。皆川にとって唯一の年間20勝以上だが、50年間、30勝投手が出現してないのは、不滅の記録。
   皆川氏にとって、忘れられない試合は、西鉄との試合で、打者が和田博実に時、3-0から、「どうせ打ってこないだろう」軽くど真ん中に投げたが、「俺がルールブック」で名を馳せた二出川が「ボール」とジャッジ。当然、野村克也も皆川も、抗議したが、「気持ちが入ってないからボールだ❗」と一喝。皆川が感銘受け、以後、手を抜くことはしなかった。
   コーチ時代、阪神では山本和行、巨人では、斎藤雅樹、桑田真澄、近鉄では、高村や佐野を育てた。