かつて、阪急ブレーブスで活躍したダリル・スペンサーが亡くなった。88歳だった。
スペンサーは、1952年にニューヨークジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)を皮切りに、カージナルス・Dodgers・Redsと渡り歩き1964年に阪急に入団。長池と共に、打線を牽引した。
1965年7月16日にサイクル安打を達成するが、当時、サイクル安打の概念はなく、彼にいわれるまで、当時の記者連中は知らんかったらしい。その年、南海・野村克也との三冠王争いの中、当時は、外国人タイトルを取らせたくない風潮があり、8打席連続敬遠の四球。無理に打ちに行ったり、10/3の南海戦で、敬遠されるやいなや、バットをさかさまに持つ暴挙に。ところが、残り2週間のところで、交通事故により残り試合を欠場。ここに、戦後初、野村克也が三冠王達成。
1967年、30本塁打を放ち、リーグ優勝にも貢献し、日本シリーズでも本塁打を放った。1968年に退団するも、71年から2年間は、選手兼任でコーチも務めた。
日本通算は731試合、615安打、152本塁打、391打点、打率.275.メジャー通算は、1098試合、901安打、105本塁打、428打点、打率.244の成績を残した。
スペンサーは、豪快な打者でしたが、特筆すべきところは、相手投手の癖や、カウントの傾向などをノートに書いてました。もちろんDVDやyoutube何かありません。「野球博士」ともいわれました。世界の代打本塁打記録保持者の高井や、世界の盗塁王福本も、彼の影響で、相手の癖をノートに書きしるすようになりました。走塁でも、パワフルな走塁をするなど、日本球界に新たな風を注ぎました。阪急のみならず、日本球界に大きな財産を残したと思います。