ラジオでは、年末年始特番として、1/3MBSラジオ1179では、重松清原作「赤ヘル1975」がラジオドラマとして放送され、黒田投手が特別出演した。舞台は、とある広島の小学校。主な中心は、野球少年のヤス、新聞記者が希望のユキオ、そして、ヤスから「転校生のベテラン」と言われるマナブ。
 1975(昭和50)年は、帽子の色が、紺から赤に変わり、原爆投下から30年がたち、東京から男の子と、福山市から女の子が転向してきた。このドラマは、3部構成となり、1部は原爆の事、2部は75年のカープの戦いぶり、3部は歓喜の瞬間が描かれんました。
 ドラマの中で、75年当時のカープの戦いぶりや、当時の学校の様子とともに進行。東京からの転校生マナブは、広島のことや、クラスの人たちと溶け込もうするが、東京との違いに戸惑ったと思います。
 ヤスが、マナブに対して言った言葉で転校生を羨ましく思う場面があり、僕も、ヤスの気持ちがわかります。転校した初日、みんなの注目を一人占めできるからです。転校の経験はなかったですが、羨ましく思ったのも事実ですが、月日がたつと、転校はいいものではないことに気づきます。会社務めしてる、親父が、違うところえ配属の形で、住み慣れた街を、離れるつらさもあります。初めて、大阪から東京に一人住まいした時に、実家の良さを痛感した。
 赤い帽子をかぶって躍動し、浸透したが、ヤスは、「赤は嫌じゃー」と意地を張り、なかなかかぶろうとしなかったが、カープは快進撃を続けた。新聞記者希望のユキオが、壁新聞として、カープの試合結果や感想を、張り出します。きっと、いいものに仕上がってることは想像します。
 19751015日、広島県民にとって忘れられない1日を迎えます。もちろん彼ら3人は学校です。もちろん、後楽園球場に行くわけでもないが、「腹が痛いから早退します」といって、帰ってしまい。一種のずる休みです。当然彼らは、試合がない広島市民球場に行きます。そこで、「監督」と言われる、グラウンドキーパーとともに、ラジオで試合観戦。もちろん、巨人主催のテレビ局は放送したが。彼らは、ラジオにしがみつき観戦。
 広島は、9回にホプキンスの3ランが飛び出す前、巨人が三村の時に、高橋一三に変えた時、当時の解説者だった金山次郎氏が「往生際悪いね」とチクリ、解説者とは思えない発言でした。金山氏は、松竹ロビンスから小鶴誠とともに広島に移籍し、広島で初めて盗塁王をとった選手です。
 実は、マナブは約1週間後親父の都合で、博多に転校することが決まり、広島の初優勝の瞬間と、5日後の優勝パレードを見れて良かったと思う。ようやく、赤を避けてたヤスが赤い帽子をかぶった瞬間でした。
 戦後間もないところに市民球団広島カープが誕生し、解散の危機にも見舞われました、それでも、市民一人一人が知恵を絞り、75年に優勝することができました。赤ヘルも40年かたちました。今年は、マエケンはいないが、自分の持ってる力を信じれば四半世紀ぶりの優勝を出来ると思います。