大洋・横浜、近鉄で活躍した盛田幸妃氏が亡くなった。45歳だった。盛田氏は87D1位で大洋(現DeNA)に入団。D3位には野村弘樹がいて、他球団には中日・立浪、ロッテ・伊良部、堀、南海・吉永、大道、日本ハム・芝草、西武・鈴木健、巨人・橋本。広島・川島等、同級生が入団し、大卒だが長島一茂がヤクルトD1位。
92年に一軍に定着すると、春先は先発ローテでしたが、6月ごろから、中継ぎに回り、大魔神佐々木につなぐ重要な場面を任されました。14勝を挙げ、防御率2.05で最優秀防御率を獲得。監督が大矢氏に変わった時開幕投手も2度務めました。
97年オフ、中根との交換トレードで近鉄に移籍。近鉄でも、抑えの大塚につなぐ重要な役割を任されました。春先は、快調な滑り出しでしたが、9月に、良性の髄膜腫で手術の離脱。自身が言うには、春先から手足のしびれや、ベンチからマウンドに域までの距離をまっすぐ歩けなかったといってました。後に脳腫瘍と診断されたみたいでした。医師には「野球どころ歩行も困難になることも」言われた。それでも、術後、懸命なリハビリを経て、99年、藤井寺球場最後の試合で打者1人でしたが、伝家の宝刀シュートで堀を空振り三振に仕留め、復活をアピール。
01年には、防御率こそ7点台でしたが、カムバック賞を受賞、この年オールスターにも出場し、かつての戦場横浜スタジアム、故郷の札幌ドームで登板を果たすと大きな拍手が起こりました。何と言っても、香田とともに守護神・大塚につなぐ役割を果たし、優勝にも貢献。翌02年に引退。
引退後は、故郷の北海道や東京で解説者として、活躍。本当なら、再びユニホームを着ることを目指したが、ここ数年は病との闘いでした。
盛田投手の武器は、右打者に食い込むシュートが武器で、相手の打者を震え上がらせました。たまにすっぽ抜けて、ひと悶着あったが、果敢にシュートを投げてきました、現役時代に病魔に侵されながら、マウンドに戻ってきました。「奇跡のリリーバー」と呼ばれ、アナウンサーが盛田を紹介する時「奇跡のリリーバー」と形容つけて紹介します。
引退してからも、再び病魔に侵されても、ユニホームを着て後進に指導したかったと思います。