南海、巨人等で活躍した富田勝氏が、肺がんで亡くなった68歳だった。僕自身は、サンケイスポーツの裏からめくったところに富田氏の訃報を知りました。
 タモリ、桂歌丸、石橋貴明のものまねするコージー富田ではありません。富田氏は大学時代田淵幸一、山本浩二ともにクリーンナップを組み、「法政三羽がらす」とよばれた。大豊作と言われた68年のドラフト会議ではD1位で南海(現ソフトバンク)に入団。2年目に23本塁打を放ち、野村克也の後釜になるはずだったが、その後伸び悩み、72年のオフに、山内新一、松原(後に福士)との交換トレードで巨人に移籍。73年は、巨人にとってV9達成が消滅するピンチに陥り、残り5試合で阪神に首位を奪われてました。126試合目この日も序盤で7-0と阪神に主導権を握られ、長島茂雄が途中交代(後に骨折が判明)と最大の危機を迎えた所に、途中出場の富田が、4回に3ランを放ち、大乱戦となり9回規定により10-10の引き分けだったが、巨人にとって希望の引き分けとなった。その年の日本シリーズは5試合とも三塁でスタメンで出場し、V9に貢献。
 75年オフに、張本勲との交換トレードで日本ハム、81年には中日に移籍。82年で引退。引退後は、タレント業もこなし、晩年は大阪で警備の仕事についてました。山本浩二氏がWBCの監督を引き受けた時は激励にも出席しました。
 昨日バルディリスが史上26人目の12球団からの本塁打を達成しました。実は、富田も史上2人目の12球団からの本塁打を達成しましたが、この日は運が悪く、ある出来事と同じになりました。ご存じの通り、「宇野ヘディング事件」です。あれがきっかけで珍プレー好プレーが始まりました。富田の現役時代はもちろん交流戦なんかなく、セ・パ2球団ずつ所属しないとできない記録でした。それだけ希少価値のあるものになった。
 最後に、68年のD1を羅列すると、東映(現北海道日本ハム)大橋穣、広島山本浩二、阪神田淵幸一、南海(現ソフトバンク)富田勝、サンケイ(現東京ヤクルト)藤原真、東京(現千葉ロッテ)有藤通世、近鉄水谷宏、巨人島野修、大洋(現DeNA)野村収、中日星野仙一、阪急(現オリックス)山田久志、西鉄(現埼玉西武)東尾修の面々が当時D1で指名され、ほかにも、加藤秀司、福本豊(ともに阪急)、門田博光(南海)等が入団し大豊作のドラフトでした。