不器用な母は、
いつも押しつぶされそうな顔をして、
子どもたちに手をあげていた。
彼女の何がそんなに重たかったのか、
幼かった私たちには、よくわからなかった。
いくらアザが増えても、
そのとき、ただひとつ思っていたのは
お母さんを救いたかった、ということ。
笑っていてほしかった。
ただ、穏やかに暮らしていてほしかった。
一度だけ、家庭内で
父と母が別々に暮らすようになったことがあった。
そのとき母は、自分の部屋に
子どもたちを集めて、一緒に過ごすようにしていた。
幼い頃の私は、
絵ばかり描いているといって、
鉛筆や紙を何度も没収されていた。
「遊んでばかりいないで」「ちゃんと勉強して」
そんな言葉に押されて、
描くことはいつしか、“咎められること”になっていた。
だからこそ、あの日のことは忘れられない。
母が、わたしの隣で絵を描いてくれたのだ。
小さな折りたたみ机に並んで座って、
カチューシャをつけた、可愛い女の子の絵。
それは、わたしにとって
人生で初めて“母に見てもらった”記憶だったかもしれない。
母の表情はやわらかくて、
わたしが真似して描く様子を、
ちゃんと笑いながら見てくれていた。
それが、あまりにうれしくて、
何度も何度も、その絵を真似した。
父には悪いけれど、
この家庭内別居の期間は、
わたしにとって、母を独り占めできた時間だった。
母と目を合わせて、
並んで座って、
一緒に絵を描いた。
たったそれだけのことなのに、
それが、今でも胸をあたためてくれる。
あの絵は、もうどこにも残っていない。
けれど、わたしの中には、
はっきりと残っている。
きっと、幼い頃の母が
自分の憧れを胸に描いたであろう、
少し古くて、どこか懐かしくて、
それでいて、
母の希望がキラキラと詰まった女の子。
あの絵の中には、
母の「こんなふうに生きたかった」が
そっと隠れていたのかもしれない。
わたしは今でも、
あのときの母の横顔を、忘れることができない。
誰かの幸せを、ずっと願いながらも、
不器用にもがいて生きていた、
あの人の本当の心に、触れた気がしたから。
あなたにも、
そんな誰かがいますか?
人は、心の奥に、
ほんとうの温もりや希望を、
静かに隠して生きているのかもしれません。
どうかその瞬間が、ふいに垣間見えたときは
そっと、あなたの大切な思い出にしていてください。
あのときの彼女の笑顔は、
40年経った今も、わたしの灯台になっています。