※徒然なるままに と題して日記を書いています。
八月七日 晴天
今朝は、引っ越しのため校区外になってしまい
自分では、校内で開かれる自由水泳に行けなくなってしまった娘のため
車で往復40分の距離を、息子を連れて、送迎することにした。
毎日弟の世話をしてくれる娘にも
楽しみはあった方がいいので
炎天下の赤ちゃん連れは、何かと大変だけど
連れて行くことにしたのだった。
娘が泳いでいる間に
母親と共に、先日入院した祖母の元へ向かった。
96歳。
人から見れば、もう十分生き過ぎたくらいだろう。
大正に生まれて、時代を四つも生きて
彼女が見てきた世界の変貌は、一体どれくらいのものなんだろう。
戦時中に、わずか19歳で戦火の中
あの広島で看護師をしていた祖母は75歳まで
現役で働いた。
その祖母は今、
人生の大半を過ごした慣れ親しんだ
白い建物の中で
今度は、カラフルな制服に様変わりした
後輩たちに看護されている。
あの頃、婦長の名札をつけた祖母が
つけていたような白い帽子は
今はもう誰も被ってはいない。
ピンを器用に使って
ずれないように帽子を留めて
仕事に向かう祖母を、何度か見送ったことがある。
彼女は今日、血まみれのシーツの上で
点滴の管の中、二の腕から手首まで紫色になった腕を
ベッドの柵にかかげて
開口一番、
「昨日、たくさんの先に行った人達が来たのよ。」
と、教えてくれた。
彼女のために、と言ってもいいのだけれど
私は数年前に介護の資格を取り、実際に仕事に就いていた。
ほとんどつむったままの目には、少し腫れているような赤みと
目やにがあったので、
すぐに濡れた布で、拭って
誰かが着せてくれたであろうパジャマの
ずれたボタンを直した。
食事の介助をしながら
一心不乱にうどんをすする彼女を見て
人が生きていく事の尊さを想った。
かろうじて家族の名前を覚えている
今目の前にいる 私の最愛の人は
私に目をやることもなく
ただただ、動物のように 目の前の食事を
休みもせずに口に流し込んでいた。
こうやって、必死に食べなくては
生きていけないような時代を
長く長く経験して
こうやって、ただただ
「生きよう」
と生きてきたんだと感じていた。
私にとって、あなたは
人生で一番、安心と愛情をもらうことを
教えてくれた唯一の存在だった。
ふらついて襖にぶつけたおでこは
紫のアザになり
乱れたかつて黒く艶やかだったガサガサの髪を
撫でながら 私はこの人が本当に大切だと何度も思っていた。
しばらく会話をしたけれど、
どれも最後の台詞のようなものばかりで
しきりに、最後に会えて良かったこと、会えなかった親戚のこと
そして、わたしの娘が来年、中学生になるのを見られないことを残念だと
つぶやいた。
急いで食べたことで、咳き込んでしまった
背中をさすり、水を飲ませ
口からこぼれたものを、拭き取ると
私は、ゆっくり彼女を抱きかかえ
横にならせた。
横になった彼女は
スクリーンの隙間から見える窓の景色を眺めながら
蝉の声のする中、こう言った。
「あぁ、雪が降ってる。 山の上で雪が降っている。
うん、大丈夫、大丈夫よ。
風邪ひかんことせんと いけんよ。
今日は、晴れてよかったね。
ほんとに、よかった。」
私と、母親は 祖母の背中を見ながら
窓の外を見ていた。
雪なんて、どこにもなかったし
私たちは何も話していなかった。
彼女は、うんうん、そうそうと
誰かと会話しているようだった。
今、ちょうど訪ねてきてくれた誰かを
見送るような言葉を何度かかけ、
そして今、彼女がいる場所は
白くて、硬い布団の上ではなく
誰かと見ている綺麗な雪景色の場所だった。
「帰るね。」とは言わなかった。
母と、私は息子を抱いたまま
その背中をしばらく眺めた後
黙って病室を出た。
家に帰った私は、今度はまだ四季も知らない
小さな子供の口に、
さっきと同じように、小さく食べやすく刻んだ
生きるための 食べ物を運んでいた。
おばあちゃん、
もう充分生きたんはわかっとるけど
私は今日も
おばあちゃんが、おらんくなることが怖い。
そして、おばあちゃんが
昨日までわかっていた自分の場所が
わからんくなってしもうて
そして、こうやって帰るたびに
次は、私のことを覚えているのかどうかなんて
考えて
足がすくむ。
ばあちゃん。ごめんね
ずっと、自分のことばかりで
ばあちゃん、ごめんね
まだ、ここにおってほしいのは
わがままなんやろうね。
ごめんね。
