私の大好きな
梅原猛先生が亡くなったことを知った。1月12日 93才
哲学者で作家、古代歴史研究家、大学総長
思えば、歴女ブームはあの頃私の周りで起こっていたのではないか。1980年代
『隠された十字架 法隆寺論』
学校の同僚から勧められた。そこから梅原文学にのめり込んだ。この本は面白かった。興味深かった。論文を読んでいるようだった。その本に書き込みをし、ノートにまとめ、休みを1週間取って、1週間九州から法隆寺まで出かけ奈良のビジネスホテルに連泊し、毎日朝から晩まで通った。
法隆寺は聖徳太子が建てたのではなく、聖徳太子の鎮魂のために建てられたのだ。という説
確かに山背の王子を始め聖徳太子の子供たちは殺された。
法隆寺に毎日通ううちに、ガイドさんのおじいさんと仲良しになり、おじいさんの持っている資料をたくさんいただいた。
仏像についても『法隆寺論』に詳しく描かれているし、南大門に入る前から大変なので(資料を見ながら感動しながら。。😱) 門に入るまでに小一時間
百済観音像の御堂を建てる時は、少しですが寄進させていただきました。するとなんと、法隆寺様から、落成法要の時に、記念品が送られてきて、ありがたいことありがたいこと。記念冊子や写真集に散華🧚♂️まで。ありがたや。


1回しっかり梅原先生のごほんで勉強しておくと良いですよ。どのお寺に行っても大概のことはわかる。仏像の並んだ順番や意味もわかる。
お寺にお参りに行くことが復習確認のように意味深いものとなりました。
先生は聖徳太子のご研究でも有名で、私の記憶が正しければ、あの山岸凉子先生の『日出処の天子』の監修もなさっていたかと。
ところで、私は、以前梅原猛先生に会ったことがあります。
日豊線のグリーン車の中で。
私は友人の結婚式の帰りだったのですが、直ぐに梅原先生だと分かり、トイレに行く振りをして、座席の近くまで行きお辞儀をしました。
すると、驚いたことに、先生と奥様が立ち上がって会釈を返してくださいました。
なんという謙虚さ。
素晴らしくお綺麗で素敵な奥様でした。
それにしてもまさかお会い出来るとは思ってもいない幸運でした。
御一行は中津で降りられたので、中津城や、福沢諭吉先生関連の場所に行かれるのかなと想像しました。
私も生きている間にもう一度『隠された十字架 法隆寺論』を手に、法隆寺を訪れたいものです。
天声人語にあるように、
梅原先生の熱意を燃やすには人間一人分の熱量では足りなかったと思います。
最後に柿本人麻呂の先生が精力的に研究なさった歌を。
東の野に かぎろひの立つ見えて
かヘリ見すれば 月かたぶきぬ
ここで「かぎろひ」とは、人魂とも亡霊とも言われる
夭折の軽皇子へ 柿本人麻呂
私が拝読した梅原猛先生の著書
『隠された十字架 法隆寺論』
『水底の歌 柿本人麻呂論』
『黄泉の王 私見 高松塚』
『さまよえる歌集』
『塔』
『聖徳太子』
『ヤマトタケル』
『誤解された歎異抄』
『海人と天皇』
『梅原猛の歎異抄入門』