長篠合戦図屏風(犬山城白帝文庫)をよく観察すると、織田家と徳川家の鉄砲衆の軍装を明確に描き分けていることに気が付く。織田家の鉄砲衆を見てみると部隊ごとに同じデザインの鎧兜を身に着けており、徳川家のそれとは大きく異なっているのだ。
例えば、佐久間信盛が指揮する鉄砲衆の1隊は、白の上衣と鶯色の小袴の上に青色の籠手と真紅の甲冑を身に着け、赤いシコロのついた烏帽子兜を着用している。
佐久間信盛が指揮する鉄砲隊
写真右上の4人が佐久間信盛が指揮する鉄砲隊
福富平左衛門及び野々村三十郎指揮下の鉄砲衆は、白の上衣と小袴の上に赤色の籠手と鮮やかな水色の甲冑と烏帽子兜を着用している。同様に佐々成正及び前田利家指揮下の鉄砲衆もその軍装は統一され、色彩的にも鮮やかに描かれているのだ。なんと織田家の鉄砲衆には、制服があったのだ。
福富平左衛門,野々村三十郎指揮の鉄砲隊
佐々成正,前田利家が指揮する鉄砲隊
制服は、集団としての統一性と連帯感を強化する働きがある。織田家鉄砲衆は、制服を着用する組織化された鉄砲隊だったといえる。しかもいずれの銃兵にも、鎧の袖が描かれていない。これは織田家の銃兵の身分が高くないことを示すとともに、近接戦闘や白兵戦を行わない兵科として部隊運用がなされていた証ともいえる。
織田家は、遅くとも長篠合戦時には、充実した足軽鉄砲隊を整備し,その軍装にかなりの資金を使ったことが伺われる。織田信長は,鉄砲隊こそが合戦の勝敗を決める虎の子の決戦兵科と認識していたのだ。


