火縄銃が有効な新兵器として広く認められるようになっても,弓が廃れることはなかった。火縄銃は早合(弾丸と火薬がセットされたもの)を使用しても弾丸装填から射撃までには熟練兵でも,約1分程度は時間がかかるからだ。大田牛一の信長公記にも織田軍は弓と鉄砲を組み合わせて使用していた事実が、随所に記されている。またその様子は,長篠合戦図屏風にも描かれている。
長篠合戦図屏風
左端上部に2名の弓兵を随伴している。
織田信長は,鉄砲伝来の数年後の16歳から17歳の時には,すでに火縄銃の稽古をしており,連射の利かない火縄銃の弱点をよく知っていた。この弱点を補うために弓兵と鉄砲隊の複合兵科を考え出した。鉄砲の弾丸をかいくぐって来た敵兵を,近距離で制圧するため,鉄砲隊に弓兵を随伴させたのである。

弓は近距離なら鉄の鎧を貫通させることができた。銃砲史研究家の須川薫雄氏が行った威力実験によれば、弓は距離10メートルから1.4ミリの鉄板で被われた鎧の胴を軽々と射貫くことができた。ただし,兜は局面のため,矢は滑ってはじかれてしまった。
弓の威力実験結果
思えば,今年は長篠の戦から450年の節目の年である。

