藤岡流砲術を興した藤岡六左衛門長悦は,姫路の池田輝政に250石で召し抱えられた。大坂冬の陣で大坂城中からの銃砲の猛撃により苦戦した徳川水軍を見るや,藤岡長悦は先陣より三町(330メートル)前進し,三十匁大筒を放って敵兵を打ちすくめた。
三十匁阿波筒の演武
写真提供 若旦那提供(インスタID) takenoko.no.yama
大坂陣中の戦功により藤岡長悦は御手回り歩行10人を預けられ,翌年の元和元年には100石を加増され350石取りとなった。その後,藤岡流砲術は,岡山藩主が稽古したことから藩主に近い砲術流派となり,幕末まで続くことになる。
典型的な備前筒。 実は藤岡流砲術の鉄砲
銃口はつぼみ型
銃口から元目当まで丸形銃身 後部は八角銃身
四角い突起に 十字の切れ込みがある元目当て
また藤岡流砲術は,丹波笹山藩や大和郡山藩などでも隆盛したことから,岡山藩内ばかりでなく堺や国友村でも藤岡流の火縄銃が製造された。
現在,備前筒とよばれている地域的特徴が顕著な火縄銃のうち,小口径のものは藤岡流砲術仕様の鉄砲なのである。
藤岡流小筒の絵図






