薩摩人たちが,使用していたのが,薩摩筒と呼ばれる火縄銃である。薩摩人は,この鉄砲を持って九州を席巻した。
薩摩筒は、種子島に鉄砲が伝来した西洋式鉄砲の形状を最もよく残しているものと考えられている。薩摩筒は,ネジを多用し,銃身の固定には目釘を用いないなど,明らかに他の日本の火縄銃とは異なる姿と構造を持っている。
薩摩の鉄砲
上から6匁筒,4匁筒,2匁筒 4匁筒の火挟みは後補。
薩摩筒の機関部は、ゼンマイバネを用いた内カラクリで、機関部を覆う地板は,ネジ一本でとめられている。このネジを見て,丸に十の字の島津家の家紋を意匠にしたものだと考えた研究者がいた。これに対し,島津家の家紋ではなくプラスネジなのだと反論した研究者がいた。
薩摩の鉄砲の機関部を留める十文字ネジ
薩摩の鉄砲の多くは,引き金に横バネが仕掛けられ,前方に倒すと
安全装置の役割をする。手を放すと元の位置に復位し射撃できる。
この反論は,全く馬鹿げている。プラスネジが誕生したのは,1930年代のことである。これに反論できる者はいないはずだ。日本の戦国時代にプラスネジが存在したというのは,荒唐無稽な話しとしか言いようがない。大体にして,プラスネジを日本に初めて持ち込んだのは、ホンダの創設者である本田宗一郎氏だという俗説さえあるくらいだ。
島津家の家紋丸に十文字
引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「薩摩藩」より
証明する歴史記録はないものの,この十文字のネジは,島津家の家紋と考えるのが自然である。薩摩の鉄砲鍛冶たちは,薩摩鍛冶の名誉と島津家への忠義から,彫らずともよい溝をシコシコと削り込み十文字に仕立て上げたに違いない。私が薩摩の鉄砲鍛冶なら嬉々としてそう作ったはずだ。歴史を考えるうえで,技術者の心に寄り添い考えるのも一つのキーになると私は思っている。歴史を作り出したのは,偉人や英雄ばかりはない。手を真っ黒にして働いてきた職人たちがいたことを忘れてはならない。


