日本最古の軍事菓子「松風」と雑賀の鉄砲 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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日本最古の軍事菓子と雑賀の鉄砲

 

京都の西本願寺界隈に,亀屋陸奥という菓子屋がある。亀屋陸奥は,1421年ころから菓子を商ってきたというから,600 年間も続いた老舗だ。この店は,創業間もないころから、本願寺に仕え、寺の供物や諸事に携わってきた。石山本願寺と織田信長との長期籠城戦の時にも,亀屋陸奥は焼き菓子を作り石山本願寺を支え続けた。その焼き菓子は,松風という名で,今も販売されている。松風は,日本最古の軍事菓子と言ってもいいだろう。そんな生い立ちの松風だが,京都のお茶席では、秋の主菓子となっている。

 

亀屋陸奥の「松風」

写真引用 亀屋陸奥ホームページ kameyamutsu.jp/products/matukaze.html

 

石山本願寺は,元亀元年(1570 年)から織田信長の軍勢に取り囲まれ、11 年間に渡り徹底抗戦を続けた。日本人は,この長期籠城戦をもっと評価すべきだろうと私は考えている。籠城戦に耐え続けたのは,信心の力が大きかったのは言うまでもないが,紀州雑賀の鉄砲傭兵集団の存在は見逃せない。彼らが石山本願寺に持ち込んだ数千丁の鉄砲の圧倒的な火力が,長期籠城戦を可能にした。強い信仰心と大きな物理的力を有する集団は,恐るべき力を発揮する。

 

紀州の鉄砲

 

紀州は、本州最初の鉄砲伝来地で、早くから火縄銃の大量生産を行った鉄砲先進地帯だった。そして雑賀衆は,射撃技術を練磨するとともに巧みな鉄砲運用法を開発し、それぞれ鉄砲傭兵集団として,戦国大名も一目置く存在となっていたのである。

紀州傭兵集団が使用した火縄銃の系譜を継いでいるのが,この地域一帯で製銃された紀州筒と呼ばれる火縄銃である。紀州の鉄砲は,カムを用いた機関部やネジ止めの多さなど,種子島系の鉄砲(薩摩筒)と似通っている。紀州の鉄砲は種子島に渡来した伝来銃の姿をよく残しているものと,私は推測している。