今日は,長篠合戦の決戦の日。 1575年の新暦6月29日(旧暦では天正3年5月21日)
早朝,坂井忠次の別動隊4000が武田の鳶巣山砦を急襲
織田信長が,1万数千の武田軍を撃破した長篠での大会戦は,1575年の6月29日(旧暦では天正3年5月21日)に行われた。
今朝六時過ぎには,家康の股肱之臣坂井忠次が別動隊を率いて武田勝頼の背後にあった鳶巣山砦を急襲し、長篠城の救出に成功した。これにより,武田勝頼率いる本軍は,挟み撃ちにされる形勢に追い込まれた。

右下が鳶ゲ巣山砦
この別動隊は,徳川軍の中から弓・鉄砲に優れた兵2,000ほどを選び,信長の旗本鉄砲隊500と金森長近ら検使を加えた約4,000で編成された(『信長公記』)。別働隊は,昨夜10時過ぎに密かに正面の武田軍を迂回して豊川を渡り、山中を尾根伝いに進み、夜明けには長篠城包囲の要であった鳶ヶ巣山砦群を後方より急襲したのである。

酒井忠次の別動隊に急襲される鳶ゲ巣山砦
ここにも信長の火力重視の戦術が見て取れるが,最大の勝因は,別動隊の動きを武田方に察知されなかったことであろう。夜の夜中に,武田の陣の正面を4000もの軍勢が動いているのである。気づかれなかったことの方が不思議なくらいだ。信長は,事前に,この方面の防諜対策と警備を厳重にしていたのだろう。孫子の兵法に言うところの「善く戦う者は、人を致して人に致されず。」のとおり,信長は,戦いの主導権を握り,二手も三手も先に手を打っていたのである。鉄砲だけが,長篠の戦の勝因ではない。