親方仕事で作られた日本の火縄銃 その統一規格の限界 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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   親方仕事で作られた日本の火縄銃

 熟練した技術者に見る統一規格の限界

関流砲術の鉄砲は,伝書にその製作仕様の掟が定められおり,全て同じに作られる。関流には,いわゆる統一規格が存在したのである。現在,土浦の関流宗家には,169冊の砲術伝書が残されている。その中には,口径5(口径約7ミリ)から100(口径約41ミリ)の鉄砲まで,詳細な製造仕様が定めた伝書が存在する。
しかし,日本の火縄銃は、一丁一丁が職人の手作りのため、規格化や共通化が完全には徹底されなかった。職人により,同じ口径の銃でもわずかな違いが生じることが多かったのである。  

           関流の鉄砲
イメージ 1    右側が50匁大筒,残り3丁はいずれも10匁筒
  左から二丁目の鉄砲には忠という文字が象嵌されている。
  おそらく仁義礼智信忠孝悌の八丁揃えのうちの一丁と思われる。

写真は,関流の鉄砲4丁を並べて撮影した写真である。右側の1丁は,重量約188gの弾丸を発射できる50匁大筒であり,残りの3丁は37.5gの弾丸を発射できる口径19ミリの10匁火縄銃だ。この3丁をよく見てみると,一丁一丁,それぞれ少しずつだが,違いが生じているのである。
詳細な製造仕様書が定められた関流の鉄砲でも,鉄砲鍛冶ごとに個性が出てしまっているのだ。これは親方を中心とする「手仕事」のため、熟練した技術が逆に親方の頑迷さを生み出し,統一規格を受け入れる成熟した工場制手工業に至らなかった証左といえよう。

予告
右側の関流50匁大筒は,日本に数丁しかないまさに正真正銘の文化財である。当ブログの訪問者2万人突破記念記事において,この大筒の詳細をお伝えしたいと思っている。