一関藩の火縄銃 その2 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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時は流れて,火縄銃生々流転  その2

私は一関藩の火縄銃だ。一関藩の歴史を伝える義務がある。今の持ち主には,ほとほと手を焼いている。

私は一関藩の火縄銃だ。銃身には,鉄砲鍛冶の銘が刻まれていない。だから,どこでいつ生まれたのかも定かでない。火縄銃に詳しい今の持ち主は,仙台筒の形式を完全に備えており,私が生まれたのは,一関藩領を含む仙台藩領のどこかだと話していた。
一関藩は,伊達政宗の正室愛姫の実家である田村家が,仙台藩から分治を受け,今の岩手県南部の一関市に陣屋を構えたことに始まる。一関藩は三万石の小藩ながら,文化水準が高く建部清庵、大槻玄沢,佐々木中沢東山などの文化人を数多く輩出してきた。言海を完成させた大槻文彦も一関の出身だ。東北で初めての人体解剖は一関藩医の菊池崇徳らによって行われた。また、農民階層にも関流和算が広く普及していた。一関は,今も昔も文化の玄関口だともいえる。
会ったこともない食堂の女主人に妙な義理立てをしている今の持ち主も,昨年秋,やっと重い腰を上げ私を整備しだした。煤けた私の銃床に,マジックリンを吹きかけお湯をかけただけなのに,そのお湯が真っ黒になったのには,この男もびっくりしたようだ。何しろ五十年以上も煙草の煙と焼き魚の油煙で燻され続けてきたのだ。ちょっとやそっとの汚れではない。

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          入浴前                                              入浴後

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           入浴前                                               入浴後

お湯洗いして奇麗になった銃床を乾かしている間,この男は,やらないでいいことをやり出した。私のカラクリ(機関部)を分解してしまったのだ。まぁ,それは良いとしよう。しかし,分解した部品を組み立てられずに,今私のカラクリは袋に一まとめにされている。知識もないくせに分解などするからこういうことになるのだ。

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困りましたね。何度組み立てても部品が余ります?変だなぁ~

まぁ~それも良しとしよう。だったら真っ赤にさびた私の銃身を磨いてもらいたいところだが,この男は,まだそれを躊躇している。錆びだらけの銃身には,女主人やお客の笑顔や涙がこもっているなどと,一人勝手なことを言って,今のところ銃身を磨いてくれる気配はない。この男の女々しい感傷にも困ったものである。いったい私はどうなるのだろうか。あと少し整備してくれただけで,私は,まだまだ生きられるというのに……。

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         入浴前

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         入浴後  まあ~まあ~綺麗になりました。

私は一関藩の誇り高き火縄銃である。私には,一関藩と一関人の歴史を伝える義務がある。今の持ち主には,感謝はしているが,ほとほと手も焼いている。困ったものである。