緊急企画 第3弾 山川大蔵にあっぱれ! | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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緊急企画 3   山川大蔵にあっぱれ!

維新150周年  何かの間違いでは https://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_a329.gif

    NHKの大河ドラマでは「西郷どん」が放送されているが,奇しくも今年は,戊辰戦争150周年である。私は会津戦争を思うとき,太平記の後半部分を読むような,納得のいかない不条理さを感じる。会津戦争は本当に必要な戦いだったのか,甚だ疑問である。

昨日は,百五十年前(慶応4年旧暦826)に会津藩家老の山川大蔵が,彼岸獅子を先頭に敵の包囲を突破して若松城入城に成功した日だ。
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写真引用 公益財団法人福島県観光物産交流協会ホームページ 

 
会津領南藩境の日光口(現南会津町田島地区)守備に当たっていた家老の山川大蔵(若冠24)は,藩主容保公より「城中兵少なく、守備薄弱なり、速やかに帰城すべし、但しなるべく途中の戦闘を避くべし」との命を受けた。しかし,若松城は完全に包囲され,近在まで薩長軍の警戒下に置かれている状況である。この時,大蔵は奇策に打って出た。会津に伝わる「彼岸獅子」を先頭にして、堂々、お囃子も声高に,敵中央を練り歩き,若松城へ入城し薩長軍に一泡吹かせたのであった。
  大蔵は,「松平家三百年の恩顧に報いるは,この時ぞ」と、「小松彼岸獅子」の一団を先頭に、笛太鼓を打ち鳴らして敵中央を練り歩き,川原橋を占領していた長州藩と大垣藩の南側を、堂々と行進してみせた。
これを『会津戊辰戦争』は,
「大蔵の一隊意気揚々として、西追手門より入る。城兵之を見歓声を挙げて之を迎う、これに反し西軍初めて其東軍なりしを知り、切歯扼腕すれども及ばず、ただ,左右相顧み唖然として、自から其の迂を笑うのみ」と今に伝えている。
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旧会津田島町の旧家解体で,発見された三つバンドのゲベール銃。全長137cm 銃身長98.8cm 口径1.7cm 福島県登録。撃鉄と用心金は欠損。来歴は不明である。

私が考えるに,当時は,軍陣の先頭で,西洋の軍楽隊のように民間舞踊などを奏でることがあったのであろう。しかも薩長軍は譜代大名家も混じった雑軍だったため,山川大蔵の一団を味方部隊と誤認したのだろう。また会津人にとっては,彼岸獅子はなじみ深いものだったので,城側が敵と誤認することもなかっただろう。奇策とはいえ,大川大蔵の計算しつくされた作戦だったといえよう。
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写真引用   東山よりOKAMI'S BLOG
 
戦後の明治4年になり,小松獅子団は御薬園(会津藩松平家の別邸)に招かれ、容保公からその勇気に感謝の言葉を賜り、高張り提灯に会津葵の御紋を使用することを許された。現在でも,会津葵の御紋は、「小松獅子団」だけに、特別、許されているという。