お金がいくらでもあるのなら、本当に世のため人のためになるのなら、どんな団体にでも寄付したい。誰でもそう思っているんじゃないかと思う。

 

恵まれない子どもたちのためにも寄付したいし、難病に苦しむ人たちのためにも寄付したい、もちろん依然被災地で苦労されている方々へも。

 

でも、普通の人が寄付できるお金は限られている。その中で優先順位を決めなければいけない。それがつらい。

 

私は、自分の売り上げの○%という上限を決めて、毎月寄付を行うようにしている。脱サラして、フリーランスになった10年前からそうしている。

 

どこに寄付しているかは積極的には明らかにしない。

 

どこかの団体に寄付するということは、そのほかの団体への寄付はしないと決めること。それを明らかにすることはすなわち、私が「どの人を助け、どの人を助けない」と決めたのかと宣言することになるからだ。私にはそれはできない。

 

場合によっては単発でどこかの団体に寄付をするようなこともある。そのときも、「もしかしたら、今このお金をもっと必要としている人たちがいるかもしれない。ここに寄付することは本当に正しいのだろうか」という葛藤から逃れることはできない。

 

アイスバケツでいろいろな意見が噴出している。どんな選択も意見も尊重されるべきだ。いろいろな意見があるから、世の中のバランスは保たれる。

 

3.11のあとにもそれと似た違和感があった。

 

たとえば宴会で「東北のお酒を飲もう!」という人たちもいた。気持ちはわかる。でも、いつもは灘の酒を飲んでいた人が、東北の酒を飲んだところで、本来灘の酒蔵に入るはずだった売り上げが、東北の酒蔵にスライドしただけだ。それによって、灘の小さな酒蔵が倒産でもしたらどうするのだろうということが、私はちょっぴり気になった。

 

私たちは有限な世界の中で生きている。自分が何気なく行う「善意」とそれにともなう「選択」が、もしかしたら誰かの生活や命に優先順位を付けているのかもしれないという恐ろしさは、常に頭の片隅においておかないといけないと思う。