先週だったかな・・・。日曜日の夕食前は恒例のように見る録画がある。『BS日本の歌』という番組である。その日は、混声合唱で歌われた「遠き山に日は落ちて」という美しい歌に心をうばわれてしまった。そして、その曲を聴いているうちに、中学1年生の1学期頃までわりと仲が良かった、斉藤君のことを思い出してしまった。
斉藤君は、私と同じで全く勉強の方は冴えなかったな。でも、何となく目と眉のあたりに哀愁が漂う、カッコいい男の子だった。何がカッコよかったかというと、この歳になって考えるのだけど、目と眉のあたりの哀愁もさることながら、中学1年生にしては、しっかりとした「さり気ない優しさ」を持っていたんじゃないかな?と思う。私は美術の時間に、「友達を描く」と言う課題が出されたときなど、斉藤君をチラチラとみて描いたものだ。
中学1年生に入学してすぐの時、1年先輩の俊ちゃんに「○○ちゃんは、夏は水泳部、冬はスキー部」と勝手に入部するクラブを決められたものだから、部活のない1学期の放課後は毎日のように斉藤君と一緒に学校のグランドの砂場や鉄棒などでよく遊んだものだ。
日が西に傾き薄っすらと夕闇が迫って来た時、ドヴォルザークの『新世界』の第2楽章「家路」が流れるとともに、「さようなら、さようなら、下校時間になりました」。という放送部のアナウンスが聞こえてくる。その放送を合図に、私と斉藤君は「じゃ時間だね」。と言って砂場に放り投げてあった鞄を手に取り、「パンパン」と砂を払い、帰宅するのである。
記憶は曖昧だが、たしか中1の時だったと思うが・・・。音楽の時間に、『遠き山に日は落ちて』という新世界の第二楽章の有名な旋律に堀内敬三さんが詩を付けたものを習った。
音楽の先生(たしか倉先生という40代前半の女の先生だった)。が黒板いっぱいにその曲の詩を書いた。
子供たちのために『遠き山に日は落ちて』作詞:堀内敬三 作曲:ドヴォルザーク
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遠き山に 日は落ちて
星は空を ちりばめぬ
きょうのわざを なし終えて
心軽く 安らえば
風は涼し この夕べ
いざや 楽しき まどいせん
闇に燃えし かがり火は
炎 今は 鎮まりて
眠れやすく 憩えよと
誘うごとく 消えゆけば
やすき御手に 守られて
いざや 楽しき 夢を見ん 夢を見ん
先生が解説してくれたのは、こんな感じかな?
「この詩は・・・『近くの山ではなく、遠く離れた山に夕日が沈んでいく。辺りはうっすらと茜色に染まり、とても寂しい雰囲気でしょうね。夕日が沈み、空に星がちりばめられていく。夕暮れから夜へと変わるとても穏やかな風景が目に浮かびますね』。それから『今日のわざ』の『わざ』のところに赤線を弾き、この『わざ』は『業』と書きます。『仕事』と書けばお父さんだけですね・・・。しかし、『業』と書けば、おかあさんは家事を、子供たちは学び、皆がすべてやることをやり終えて、ほっと一息ついた様子をあらわしますね。それから、「まどいせん」というところにアンダーラインを引いて、この『まどいせん』とは、人が集まり輪になって座り、語り合う様子です。漢字では『円居せん』と書き、『円居』は家族や親しい人同士が集まって楽しい時間を過ごすという意味ですね。『せん』は古語で、『~しましょう』と言う意味です」。と・・・。「荒城の月」「箱根の山」など、どんな曲にでも歌詞の持つ深淵な意味を解説することを忘れなかった。まさに、素晴らしい『情操教育』そのものである。
この時代(戦争を経験した世代)の先生たちは、とても、あたたかくて、知性が高く感性も素晴らしい人たちが多かったような気がする。
私の生まれた地区は、戦後急に人口が増えた。小学校は斜面に沿って増築につぐ増築を重ねたものだから「日本で一番、階段の多い小学校」としてテレビにも取り上げられたほどだ。その小学校から吐き出された児童は、二つの中学校へと分かれて進級する。
一クラスの生徒数は50人から55人、10クラスぐらいあったかな?そんな中学校が9校あり、9校合わせた1学年の総数は5000人ほど。しかし、問題はその子供たちの受け皿になる高校は4校しかなかったこと。1600名ほどしか高校生になれない(高校の受験倍率は、とても高かった記憶がある)。だから3割強が高校生になれるが、残りの7割弱は、『金の卵』などと言われ都会へと集団就職していった。
先生たちは、厳しい反面、とても暖かかったように思う。たった15歳で親元を離れなければならない子供たちに何を教えるかを悩みながらも理解していたのではないだろうか。
今なら私も、先生たちは、『15歳の子供たちを成熟した大人(大人の社会に出て困らない)』に育てることを教育と考えていたんじゃないかな。とわかる・・・。決して「知識だけの補充」のことではない・・・。
当時の先生たちは、『頭の中の知的多寡は、私たちと同じくらいしかない、いやもっと下かもしれない人たちが、恣意的に作った「ルール(教育制度)」の中で、回答が一つしかない試験・・・。上手に演技できれば「優等生」。適応できなければ「落ちこぼれ」や「浮きこぼれ」と決めつけることなんて「教育ではない!」と思っていたはず。
こんなことがあった。
空手3段という猛者に国語の高橋先生がいた。定期試験が迫った国語の時間、『今日はいい天気だから、お前ら教科書もってついて来い』。といって生徒たちを近くの公園まで連れて行った。『○○ページから○○ページまで読んだら、俺のところに来い、その後は時間まで自由に遊んでいいぞ』。たまたま私は、その日、国語の教科書を忘れていた。困っている私に斉藤君は、さりげなく『俺の教科書を一緒に読もうぜ。でもね、その前に先生に言ってこいよ』と、促された。私が先生に報告に行くと、少し厳しい顔をして頭を軽く「ゴツン」としてから目じりを下げてにっこりと微笑んだ。
斉藤君は、1学期の終わりごろから学校に来なくなった。そして夏休み明け、斉藤君の長屋の近くに住む部活の先輩に、斉藤君が亡くなったことを知らされた。『白血病』とのことだった。13歳という若さで、天国に召された斉藤君は、一切、私には、自分の病気のことを話さなかった。多分、担任の先生だけが知っていたのだろう。
今生きていれば、今でも親友のままだで仲良くしてくれていただろうか?・・・。あの日以来、歳をとらない若いままの斉藤君の夢をよく見る・・・。