わたしの愛するあなたへ💞


ごきげんよう徳子です😊


100年先、1000年先に残っていてほしいこと。

私が残したいと思うことに

「徳」があると、昨日の記事で書きました😊


「とくのみちをとくとくこ」


言葉遊びのつもりで以前書いた記事。


ちょうど1年くらい前の記事でした。



リンクを貼るにあたり

自分の書いた記事を読み返してみたのですが…


なんとも😳


1年前の私は「徳」というものに対して

「私たち一人ひとりが理想とする姿」として

捉えていました。


昨日の記事で、私は

「徳」とは、大げさなことではなく、

普段、誰しもが何気なく行なっている「善き行い」

と定義したのですが、


1年前の徳子さんは、そうではなく、

自分がこうでありたい!と理想の姿に

近づくために「徳を積む」「徳を積みたい」と

思っていたのですね…


ただ、その時と変わっていないことは…


「徳」というイメージに対しての

一律的な「善い行い」ではない


ということ。


誰のなかにでもある

その人が善いと思う行い。


私はそれでいいのだと思うのです😊


ただ、それを1年前の私は

自分の理想に近づくために「がんばりたい」と

思っていた。


でも、1年後の今の私は

普段通り、できることを、できる範囲でやればいい


そう思っている。


肩の力がふっ…と抜け

軽くなっていました😊


私にとって「徳」というものが

身近なものになってきた証でしょうか🤭


それぞれの人の中に当たり前にあった

「善き行い=徳」だったものが、


いつの間にか

「人としてこうあるべき」という

一律的な価値観と結びついて、


「道徳」という言葉が

「こうしなければならない」という


ウザくて、しんどくて、重い


窮屈なものとして

受け取られるようになったのかもしれませんね😓


それはとても残念なこと…。


「徳」とはちっとも

ウザくもなければしんどくもない。

ましてや重いものでもないと、

今の徳子はそう思います😊


なぜなら、それはもう

私もあなたもすでに持っているもの


だから。


がんばって、意識して「善い行い」を

しようとすると、しんどくて、ツラくて、重いもの


になるけれど、


あなたがごきげんで

鼻歌を歌いながらできる「善い行い」は

ツラくもなんともなく、自然な徳積みになっている


と、私はそう思うのです。


そして、鼻歌を歌いながらでも

できるくらい軽い「善い行い」の方が

受け取る相手も、きっと受け取りやすい


とも感じます😊


そう!「徳積み」のポイントは


ごきげんで鼻歌でも歌いながらできること


なのかもしれません



今日も私のブログを読んでくださり

ありがとうございます💞


ご縁に感謝します。