「さっさと乗って、駐禁切られる」

イラついた様子で緩いウェーブのかかった髪を指でかき混ぜ、男は後部座席を指差した

「あのっ、わたし…」

「早くして!」

守屋の荒い口調に圧倒されたちひろはもう、どうにでもなれと覚悟を決めて車に乗り込む

「お邪魔します」
 
「それ、適当に避けて座って」

車内は雑誌や書類封筒があちこちに散乱している

助手席の後ろの座席に座り、シートベルトを締めた時

「あっ…電話!」

手にした携帯が、まだつながっていることに気がついた

『拓海、来た?』

耳にあてると、周の心配そうな声がした

「はい、車に乗せていただいたところです」

『じゃあ、ちょっとだけ拓海と代わって』

スマホを運転席に差し出すと、守屋は小声で周と話し始める

「…はい、わかってますよ、はい…はい…」

なにか、指示を出しているのだろう

男は面倒くさそうに相槌を繰り返していたが、途中でなんどか

「ああ?」

と、怒りを含んだ声を上げてはちひろを居た堪れない気分にさせた

「ほい、終わったよ。アンタのマンションの場所も聞いたから、行こう」

守屋はスマホをちひろに返すと、乱暴に車を発進させる

「すみません、ご迷惑おかけして」

「べつにアンタが悪いわけじゃない、あの人が人使い荒いのは毎度のことだし」

“あの人”という呼び方に、ちひろは少し違和感を感じた

「水上さんのお友達って聞きましたけど、学生時代の?」

「友達!?あの人、俺のこと友達って言ったの?うーわ、最悪。あんな友達いらねーよ」

守屋は大げさにため息をつき、バックミラー越しにちひろを睨んだ

「えっと、それじゃあ?」

「なんつーか、部下みたいなもんだよ、俺は。年はこっちのが上だけど」

「部下っていうと、会社の?」

「まあ、会社っちゃ会社かもな。悪いけど、アンタに余計なこと話したら殺すって言われたから、これ以上は勘弁な」

さっきの電話の内容は、おそらくそんなとこだろうと思ってはいたが

「水上さんがそんな乱暴な言葉を使うなんて、信じられません」

周と出会って数ヶ月経つが、どんな時でも紳士的な話し方をしていたし

「彼はその、すごく優しい人だから」

小さな声でつぶやいたちひろを、守屋は馬鹿にしたように鼻で笑った

「そりゃあ男は誰だって、タダでやらせてくれる女には優しいでしょうよ」

「えっ!?」

信号待ちをしていた男が、驚いた顔で振り返る

「マジで?嘘だろ、おい!?」

どうやら、カマをかけられたらしい

「あっ、違うんです!わたしと水上さんはそういうんじゃなくて」

信号が青に変わり、守屋は前に向き直って口を開いた

「余計なお世話だけど、あの人は…」

「知ってます、奥さんがいるのは。ユリさんっていうんですよね?名前は聞いてないけど、娘さんがいることも」

「あっそ、だったらどうぞご自由に。仕事仲間のプライベートに口出しするほど暇じゃない」

守屋はそれきり黙って運転を続け、ちひろのマンション前で車を停めた

「ありがとうございました。これ、少ないですけどガソリン代にしてください」

車を降りる際、守屋に現金を手渡そうとしたが

「んなもん受け取ったら、冗談抜きで殺される。白タク代はあっちに請求するから気にしなさんな」

ぶっきらぼうに言われてしまい

「わかりました、おやすみない」

ちひろはしかたなくドアを締め、運転席に頭を下げた

ところが

いつまで経っても守屋は車を発進させず、うつむき加減でじっと考え込んでいる

そのため、ちひろも部屋に戻れずその場に立ち尽くしていると

車の窓が静かに開き、パーカーの腕が手招きをした

「あの、なにか?」

男は眼鏡の奥の視線をちひろから外し

「娘の名前は紗良だよ、サラ。誰かさんに似て悪戯好きのお転婆なガキで、水上もかなり手を焼いている」

思い出し笑いのような表情を浮かべてそう言うと、彼女の前から去って行った


つづく↓