最後に訪れたのは、覚苑寺です。
ここは祖父母の家にほど近く、毎日の散歩道でした。
一番思い出の詰まった場所です。
近代日本画の父・狩野芳崖像。
幼少時からせっせと孫娘を美術館に連れていっては、理解はともかく美術に触れさせようとした祖父。
美しいものは感覚で捉えるということをよく知っていたのです。
おかげで私の世界は広がり、目は開かれました。
先ほどの功山寺とは全く趣の違う、禅寺の静けさが大好きでした。
本堂の建物もやさしい佇まい。
静かでとても落ち着ける場所です。
この寺の裏山は、祖父のお気に入りの登山道でした。
山頂まで約30分で、日々足腰を鍛えるにはちょうどよい距離。
最近改めて祖父の著書を読むと、、庭の花々の由来が書かれており
涙なしではこの記事を書くことができません。
覚苑寺の山頂に画家や作家の友人達と登り、山の神様におことわりして頂いてきたという春蘭。
一里山の入口に積まれてあった枝を挿し木して根付いた桃色馬酔木は、歌にも詠んでいた。
「挿木してつちかひし馬酔木稚しきにわれは恋ひ待つ春の花房」
ショウジョウバカマは、木曽の妻籠城址で採ったものでした。
大山の連浄院で分けていただいたという白い菫。
表庭の紫の菫は、祖母と私が散歩に来て、覚苑寺の裏山から採ってきたものがどんどん殖えたものでした。
「わが庭に最初の春を告げるのは、門の傍の三椏である。冬のあいだ、いぶし銀の蕾を枝々のさきにうなかぶしているが、春立つといつかその穂先が黄色に匂ってくる」
紅葉の美しさと懐かしい覚苑寺に背中を押されるようにして、とうとう私はもう他人の手に渡った祖父母の家を見にゆきました。
途中、アオジが一羽やってきて、美しい声でさえずってくれました。
表庭にあった楠の大木とどんぐりの樹
(これは祖母が最初に心臓発作を起こし危険だった秋に、私が元気いっぱいに実をつけたどんぐりに、思わず「その生命を少しだけ、お祖母ちゃまに分けて下さい」と頼んで以来、みるみる枯れて空洞化した幹だけを残していました。一命をとりとめた祖母が亡くなるまで永く寝付いたのは、動かぬ木に力を頂いてしまったせいかと反省したことをここにだけ記します)
楠の巨木
蝉が多く来てよく子供たちが「蝉とらせて下さい」とやってきた木は、なくなってコンクリで固められ駐車スペースになっていたものの、門の傍の三椏、そして祖父が春の王者だと語っていた白木蓮はそのまま残されていました。
裏庭の傾斜地にあった槙やタブ、シロダモ、サンゴジュ、藪椿の大木は小鳥たちの楽園。
梟がやってきた木の洞も。
そのままリフォームして使ってくれているらしい昔のままの我が家の向こうに、巨木群がそのまま見えて安堵しました。
家の横には祖母の愛した紅梅の枝も見えました。
家を買って下さったのは、赤ちゃんのいる若いご夫婦だったとのこと。
祖父母と私の愛した植物たち、そして訪れる小鳥たち。
どうぞ自然の好きな優しい子に育ってくれますように。
春には玄関先に、「夜は月に向かって捧げる燭台のように輝く」白木蓮が、幾度の門出を見守ってくれますように。
私の今の住まいにも入口付近に白木蓮の大木があって、春になる度祖父母の優しいまなざしを思い出すよすがとなっています。
「思人愛樹」
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