



門司から<富士>は、ED76 90が牽引する。
終着大分まで頼んだよ。
門司を出て、次の停車駅、小倉。小倉で出発が少々遅れた。
先行する、特急ソニック7号が遅れたため、それが<富士>にも影響した。
それは仕方ないか。先行するソニックとの差は2分。
大分着は30分あまり差をつけられるけど。
さて…<富士>の担当する車掌は一人となった。
JR西日本が受け持った東京-下関は2人。
JR九州が受け持つ、下関-門司は2人で、門司-熊本、門司-大分は一人づつの受け持ちとなる。
国鉄時代は、東京-大分2~3人。大分-西鹿児島(現・鹿児島中央)は2人だったと思う。
JRになってからは、全区間、JR九州が受け持っていたこともあったが、いつの間にか下関からの乗務になっていた。
大分に着くまで、<富士>にあこがれていたことを思い出していた。
<富士>の名は戦前からあって、復活後は夜行列車ではなく、昼行特急だったとおもう。
寝台特急になって、当初は大分までの運転。
その後、1965年改正で西鹿児島までの運転となり、24時間を越えるロングラン運転をすることになった。
私が覚えているのは、東京→西鹿児島間24時間26分運転。
東京発18:00→西鹿児島着18:26と言うダイヤ。
これは、写真家南 正時さんの本で、知って魅入ってしまった。
いつかはこの列車に乗りたいと思ったのだが…
1980年10月改正で、宮崎-西鹿児島間が廃止となり、日本一の座を<はやぶさ>に譲った。
そして…大分-宮崎も廃止となり、運転当初の東京-大分間の運転になってしまい、車両編成も6両になってしまい、<はやぶさ>との併結運転…
それでも<富士>は<富士>だったと思う。
今回の改正で廃止となるが、いったいなぜ、廃止となったのだろうか?
飛行機や新幹線運転網の充実?もあるのかもしれないが、一番の問題は…JR同士のいがみ合い?かも…
JR東海にいたっては、機関士養成を行っておらず、将来的には、機関車運転そのものがなくなってしまう。
また客車の新製もなかったのが痛い。
<カシオペア>はオールA寝台車で、クルージング感覚の運転なので、それはそれでいいだろう。
一般客車寝台に至っては、改造などで済まされ、新製車両は国鉄時代の1978年以来…ない。
今回、乗車した<富士><はやぶさ>の車両は、改造車の寄せ集め?といっても仕方ない。
そんな中でやりくりしている、JR九州には頭を下げたい。
運転終了まで僅かだが、丁寧にメンテナスをしてもらって、最後の日を迎えてもらいたい。
つづく…