去年の暮れ、同僚の一人Aさんのお母様が他界された。彼女は、1年前にお父様を亡くしたばかりだった。
日本から戻り、しばらくして最近になって彼女も落ち着いてきたので話をしたところ、

「もうわたしは日本には住めない。自分には帰る場所がなくなってしまったのよ。」 

とつぶやいた。これまで、アメリカで二人の子供を産み、離婚も経験。シングルマザーでがんばっていて、日本に帰るつもりも全くないからと、アメリカの市民権も得た彼女。だからAさんにとってはアメリカは一生住む場所なのだ。

それでも、やっぱり彼女にとっての「親」 とは帰る場所だったに違いない。

同僚の中には就労ビザで働いていて、「いずれは日本に帰る」 といってる人もいる。


今回、ちょっとじっくり考えてみた。


これまでもこういうことを考えたことは何度かあった。自分の親になにかが起こったとき、すぐに飛んで帰れるのは3人の子供がいる姉でなく、わたしであろうと覚悟もしているし、今後も何度も日本へ帰国するだろう。


でも自分にとっての日本とは。


ここで主人と出会い、結婚し、生活している今、自分は日本人であるし、日本人であることに誇りももっている。でも日本にはたぶん将来も住むことはないとおもう。
そしていまは両親も元気でいてくれてるから、「お母さん、お父さん、いついつ、帰るね~」 なんていって気軽に日本へ行っては、両親と過ごし、友人たちと再会し、料理を堪能し、いろいろ楽しんで、「日本のおいしいとこどり」 をして戻ってくる。

しかし、順番から言うとやっぱり親が先に逝ってしまうはず。。


そうなったとき、わたしはどうだろうって考えた。

Aさんのいうように ほんとうに帰る場所 がなくなってしまうのだ。

自分が生まれ育った国、日本。

私は日本人だから帰ろうとおもえば物理的にはいつでも帰れるし、住むこともできる。


ただ、両親がいなくなった時、自分には帰る場所がなくなる。


そうなったら、「日本に帰る」 というより、「日本に行く」 となるのだ。


自分の生きていく場所はここなんだと思っている。


でも、私の心の中の帰る場所って、たとえ今後、アメリカ市民権をとったとしても、やっぱり日本。


アメリカの文化やここに住んでいるいろんな人種の人たちに出会え、視野も広がったと思うし考え方もかなり変わった。アメリカにすむようになっていろんなことがあるけど自分で選択した人生だと納得もしている。




ただ、








「自分には帰る場所がなくなってしまったのよ」







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Aさんの言葉、いつかは自分の言葉になるんだと覚悟した。