ここからの続きです

 

 

何から書けばいいんだろう。

 

あらためて思うと

自分でわかっているんだから

あえて書く必要もない気もするし、

こういうことって

人に説明しなくても

いいんだろうなぁ。

 

でも、

やっぱり書いておこうかな。

この先、

何年後かの私が

また思い悩んで

グルグルすることがあっても、

必要であればまた

コレを読んで

思い出せるように。

 

 

私のカード残債などなどに関しては

今までにも画像つきで

具体的な金額を

出しておりますし、

借金があることそのものに

罪悪感はない、ということも

書いてきました。

 

まあ、スパっと返せるものなら

それにこしたことはないけど、

毎月最低これだけ払っていけば

よいというのなら、

ダラダラと一生かかって

払い続けていくのでもいっか、

みたいに思ってました。

 

が、

去年の秋ごろ、

モーレツに返済したくなったんですよ。

 

去年って、

天中殺の殺の年にもかかわらず

個人的にはやたら充実感のある

恵まれた一年で、

精神的には

今までにありえないほど

みたされてたと思うのです。

新しいこともできたし、

新しいステージにも

進めたと思ってます。

 

でも、

そこで思ったわけですよ、

じゃあこの借金と、

毎月ギリギリカツカツな状況は

どういうこと?って。

 

何とかなってきたことは

事実だし、

多分この先も、

何とかなるし大丈夫なんだろう。

でも、

こんな状況が好きなの?って

自分に聞いた時に、

「NO!」

なんだよね。

 

もうそういうのいらないな、って

はっきり自覚したら、

自分をこの状況に

置き続けることって

ありえないわけで。

 

好きなことして

ワクワクして

自分をご機嫌にしていれば

豊かさは回ってこないはずはない

 

なんていいますが、

 

まあ、そうなのかもしれない、

でもね、

その時点で私が自分にしてやれる

最高の選択は

「一円でもいいから

とっととこの借金を返しきって

身軽になること」

であって、

そのためには

現実問題として

具体的にお金を集めることだと

思ったんですよ。

 

それって、

お金の入り口を限定してる、

稼ぐ=労働という設定じゃきついよ、

 

って言われようが、

私にはそれしか思い浮かばなかったよ。

 

そこはもっと

自分と向き合ってさ、

ってところなのかも

しれないけれど、

とにかく待てない性格ゆえ、

思い立ったら動かないと

気がすまないわけですよ。

 

それで、

私にしてはめずらしく

レギュラーワークのクチを見つけて

ある程度の長期前提で

アルバイトをはじめ、

かつ単発派遣で

いろいろ補ったり、ということを

2ヶ月ほど続けておりました。

 

結果としては

無理させすぎてギブしたわけですが(今ここ)

 

とりあえずこの2ヶ月という

短い期間だけ見た時、

 

残債に大きな変化はまだありませんが、

2ヶ月前に嫌だなと思った状況

「ギリギリカツカツで不安」、

ココに関して振り返ると、

 

それはなかった。

 

うん、

すごい余裕があったかというと

そうでもないにしても、

ギリギリ、カツカツ、ではなかった。

 

未納してた年金も

一か月分払えてますしね。

 

一つ前の記事で

やりたいことは

なんだけど、

その先にあるのは

これだからね、

ということを書きました。

 

さらにいうなら、

優先順位としての

借金完済って、

これのためでもあるけど、

本質はこれのためでもない。

 

集中して本つくるために

不安になる要素って

極力排除したいと思った。

たまたま今やりたいことは

本だったけれど、

本に限定したことじゃない、

っていうか、

それすら表面的なこと。

 

そうだ、借金返そう!

って思い立った時、

私がやりたかったことって、

「私を自由にしてあげること」

「私にいつも好きなことを

させてあげること」

「自分にそうしてあげられる私でいること」

そんなことを

自分にコミットしたんだよ。

 

まったく地味なことで、

こういうのは

一般ウケしないよなぁ、って

我ながら思う。

何言ってんのか

わからないや、って人も

いるだろうな。

多分一年前の私がこれ読んでも、

「コイツナニイッテンダ( ゚д゚)」

って感じだったと思う。

 

それも、去年一年

やりたい放題やったから

今そう思えてるのだけどね。

 

 

コミケ出ません、って件は、

まあ、読んで時の如しですが、

少なくともサークル「迷想心音」では

出ないでしょう。

主としての参加ができるほどの

余力はなさそうです。

 

何でもよければ

出られなくはないのよ。

そんなに時間かけなくても

できそうなグッズの案もあるし、

布モノちょろっとつくって

去年の残り数冊持っていって

「はい、参加してま~す☆」

って言うことはできるよ?

(当選すればね)

 

でもさ、

それやって

私、ホントに楽しい?

って話。

 

他の人がどうかは関係ない。

私にとって、

コミケなりイベントなりって、

そんなんでいいの?って

自問自答するまでもなく、

そんなんじゃイヤなんだよ。

 

自分でハードル上げてる?

あーそのとおりだよ文句あっか!

山登りできるならなんでもいいっしょ、って

公園の砂山に登ってて

楽しいかよ!

 

多分そうやって意地になれるのも、

一昨年と去年の夏コミに出たことで

「コミケにでる」ということは

すでに「夢」ではなくなってるからなんだろう。

出るのは前提で、

じゃあどんな参加がしたい?って

もう少し余裕を持って

考えられるようになってる、

ってことなんだと思ってる。

 

コミケに出る

ってことが

目標じゃなくなったんだ。

 

あー、もちろん

大好きだし、出たいけどね、

参加することに意義がある、

というより、

どういう姿勢でどう参加したいか、

ってことの方に重点が置かれてきてる。

 

半端にしかできないとわかっていて、

何となく突貫工事で

間に合わせ的に表面上細工する

ようなことって

私にはできないよ。

 

それから、

上でも書いたように

コミケにでる、ってことも、

私のやりたいことであると同時に

それに限定するものではないわけで、

 

やっぱり、

私

が先にあるんだ。

 

私がやりたいこと

の中にコミケやら本やらがある。

 

だから、

厳密に言ったら

「コミケに出たい」

「本が作りたい」

っていうのも、

雑な言い方なんだよね。

 

「紙を二つ折りにして

表紙と本文書けば

本なんてカンタンにできるよ」

「コピー本をイベント前日に

ワイワイいいながらみんなで作るのも

楽しいよ」

とか言われても、

私がほしいのはそういうものじゃないんだ。

 

そういうことを否定するわけじゃない。

それが楽しい、って本気で思う人は

そうすればいいさ。

でも、

私はそれが楽しいって思えないもの。

 

私がその行動をとることで

やりたいことの本質って、

「私が納得できるような体験がしたい」

みたいなことなんだろう。

マゾのおヘンタイだから、

仕方ない。

 

まあ、ね、

そんなこと言っても

結局腰悪化しちゃったし、

せっかくのレギュラーワークも

続けられなくなっちゃったわけだし

(明日電話しなきゃだな)

単発派遣も

かなり業務内容が

限定されてきちゃうけれど

(その上、この先しばらくって

求人が全体的に少なくなるんだよ、

私知ってるし!)

 

んー、まあ、

でも、何となく

大丈夫だとは思ってる。

根拠はない。

 

ないけど、

多分私は大丈夫なんだろう。

 

やりたいことは

これだと書いた。

 

それは、

自分を自由にしてあげたいという動機から。

 

そうしてあげられる私でいると決めたんだ。

だとしたら、

確かに今回はやりすぎたとは思うけど、

それだって間違いではないし、

後悔はあんまりないや。

結果で判断しちゃいけない。

 

そのアプローチが

的確で効率の良いものだったかどうかは別だが、

私のスタンスそのものは間違ってないし、

別の部分とのバランスはとれなかったけど

確かに、その思いは叶ってる。

本質はブレてないはず。

 

今回、思ったんだ。

人って、常に

最善の一手をうつように

してるんだろうな、って。

 

それは、

最初からルートを決めてる、っていうより、

常に選択の連続で、

どれを選ぶかは

その時点で決めるのだけど、

どちらを選んだにしても、

選んだ方から

進むべき場所へ到達できるように

いつだって軌道修正し続けてるって感じじゃないかな。

 

どっちを選ぶかまで

最初に決めてる、という説も

あるようだけど、

私にとっては

どちらでもよいことで、

つまりは「どちらを選んでも正解」

って、そういうことか、って思った。

 

だったら、

何があったって大丈夫だよね。

ものすごく安心したよ。

 

だったら、従前のような

ギリギリカツカツでも

よかったんじゃない?とか

言われそうだが、

だから、それでいいんだと思う。

それを選んで来た末に

「もうやめよう」っていう選択に

たどり着いたじゃないか。

 

完済、って決めたから、

私の心的には

すでに完済してるんだよ。

なので、

完済した私だったら

どう在りたいかってのを

いつも考えてる。

 

だったら本作る、とかいう

行動面の話じゃなくて、

体感面の話ね。

 

さすがに金返しつつ

完済後と同じ行動は無理だよ私にはw

 

多分、

多分だけど、

例えば働いてて、

身体は疲れるとか

余裕なくなるとかは

あると思う。

これは先月も実際そうだったんだけど、

ぶっちゃけボロボロな感じだったし、

ホント心の余裕なんてなかったさ。

でも、

時間的には短かっただろうけれど、

毎日確実に私は

自分をみたすことはできていたよ。

それは、

金の有無とか

仕事とかシュミとかは関係なく、

つまり、

お金の心配がない状態で

好きなことしてた時と、

その幸せ度って

多分変わらないってこと。

 

よりくつろぐためには

私の場合は

もっと、ぼーっとする時間が

たくさん欲しいけれど、

その違いくらいかな。

心のゆとりが持てなくても、

私が幸せだということに

かわりはなかったね。

 

だから、

そういうのを

日常の中で

いっぱい感じていられればいいと思ってる。

そんなに難しいことではなかったよ。

 

幸せの定義って

人それぞれなんだろうけれど、

私の場合は

きっと幸せのハードルが低いのかな、

 

今思い返すも

「幸せってチョローい♡」

って、笑いがこみ上げてくる。