地形模型
立体地図とも。山や谷など地表面の形状を立体のまま縮小して示したもの。
一般に,正確な地形図の等高線に従って切り抜いたボール紙などを積み上げて作られる。この場合,高さを水平距離の何倍かにして地形を強調することが多い。

これを原版にして石膏などで複製を取る場合もあり,必要に応じて集落・道路などを記入し,教材・展示などに利用される。

ふつうの平面的な地図では、地形は等高線その他の記号で表現されており、正しい読図にはある程度の予備知識と習練とが求められるが、地形模型ではその必要がない。

このため学校、博物館、遊園地、観光地その他での教育・展示用などに利用され、あるいは鉄道、道路、ダム等の建設位置選定などの目的で作製されたりすることが多かった。
大縮尺模型では、任意の季節や時刻に対応した方位と角度から光をあてることによって、地表の日なた・日陰の範囲とその変化を知ったり、反対に、地表の特定点からの眺望または直達可能な領域を求めたりすることも容易なので、近年は各種の地域計画に資料として活用される機会がふえた。

苦渋の選択 基本協定調印
住民の方々の苦渋の選択の末、平成4年に長野原町で、平成7年には吾妻町(現東吾妻町)で「八ッ場ダム建設に係る基本協定書」が締結され、ダム建設事業が動き始めました。
このとき既に、ダム建設構想から、40年以上が経っていました。

↑ 42~45代長野原町 町長 田村 守(平成2年4月30日~平成18年4月29日) ↓
↑ 平成4年八ッ場ダム基本協定書締結時の田村 守長野原町町長 写真中央
私が度々川原湯温泉を訪れるのは、戦時中この地に縁故疎開をした想い出の地だからです。
小学校二年生まで生活していました。
田村 守町長(在任期間平成2年4月30日~平成18年4月29日)は、私の同級生です。
30代~31代長野原町議会副議長 豊田 銀五郎(平成19年5月8日~平成23年4月29日)
34代長野原町議会副議長 市村 仁(平成26年5月9日~平成27年4月29日)も同級生で掲載済みの「川原湯温泉/クラス会」に出席しています。
就任2年後の1992年、長野原町は正式にダム計画を受け入れる協定を建設省と締結。当時の紙面には、樋田前町長が協定調印に難色を示し続けたこと、協定調印式に出席しなかったことを伝えています。

また、同じく川原湯温泉の旅館主であった竹田博栄さんによる、「反対運動は名実ともに幕を閉じた。が、だれもダムに賛成したわけではない」という言葉も紹介されています。

八ッ場ダム事業ではダム湖周辺に水没住民の移転代替地を造成する”現地再建方式”が採用されました。
水没地の外に住む田村氏は町長選において、「住民の意向を十分に取り入れた過疎のないダムづくり」を掲げましたが、田村町政の1990年から2006年までの16年間に、ダム予定地域の人口は激減し、地域経済の核であった川原湯温泉も衰退しました。

その最も大きな要因は、ダム事業の遅れでした。
ダム計画が告示された1986年、八ッ場ダムの完成は2000年度とされましたが、補償基準が調印され、国交省と住民との補償交渉が可能となったのは2001年になってからでした。

また、水没住民の移転代替地の分譲価格を定める分譲基準の調印が行われたのは2005年、代替地の造成がほぼ終わり、分譲手続きが開始されたのが2007年以降でした。
代替地の分譲価格は周辺地価よりはるかに高額に設定され、住民流出をさらに加速させました。

↑ ダム建設前の吾妻渓谷 ↓
事業の遅れはダム計画そのものに無理があるためでしたが、ダム受け入れ後の地元では、ダム事業に協力しない地権者のせいで事業が遅れ、生活再建が遅れると言われました。

↑ 日本一短いトンネル 八ッ場大橋と鉄橋 ↓
樽沢トンネル
東日本旅客鉄道(JR東日本)吾妻線の岩島駅〜川原湯温泉駅間の旧線上に存在するトンネルである。
山の出っ張りを掘り抜いたもので、全長約7.2mの日本一短い鉄道トンネルとされていた。
トンネルを含む廃線跡は、2020年(令和2年)7月中旬より「吾妻峡レールバイクアガッタン」のコースとして、足漕ぎ式トロッコが通過するアトラクション施設として利用されている
吾妻渓谷と並行した位置にある。
歴史
戦時中の突貫工事により作られたトンネルであり、1946年(昭和21年)の長野原線(当時)開通時にトンネルも完成。
通常この程度の長さの岩場ならば、切り崩すか切り通しとすることが多いが、この岩場ではトンネルが造られた。上毛新聞がJR東日本高崎支社へ行った取材によると、トンネルにした理由として岩盤が固かったためくり抜いたという説や、トンネルの上に立つ一本松の景観が素晴らしかったので残したなどの諸説があるが、いずれも定かではないという。

↑ 八ッ場大橋を渡ると直ぐ川原湯温泉駅だ ↓
通常この程度の長さの岩場ならば、切り崩すか切り通しとすることが多いが、この岩場ではトンネルが造られた。上毛新聞がJR東日本高崎支社へ行った取材によると、トンネルにした理由として岩盤が固かったためくり抜いたという説や、トンネルの上に立つ一本松の景観が素晴らしかったので残したなどの諸説があるが、いずれも定かではないという。

↑ 川原湯温泉駅 電車発着時以外乗車券売り場は閉鎖 ↓
八ッ場ダムの建設に伴い、吾妻線の岩島駅〜長野原草津口駅間のうち水没する予定の区間を含む約10.4kmが付け替えられた。
切換工事に伴い、2014年9月24日をもって旧線での営業運転を終了し、10月1日からは新ルートによる営業運転が開始された。

旧線上の樽沢トンネルはダムサイトより下流にあるため水没を免れるものの、付け替えに伴い用途廃止となった。
なお現行ルートの岩島駅〜川原湯温泉駅間は、旧線より南側の山中を八ッ場トンネル(全長4,489m)で通過しているため、車窓から樽沢トンネルを望むことはできない。
本トンネルの廃止後、JRで最も短い鉄道トンネルは西日本旅客鉄道(JR西日本)呉線の川尻トンネル(広島県呉市、全長8.7m)となった。
↑ 川原湯温泉駅に停車する下り特急草津 ↓
2020年(令和2年)7月中旬より、樽沢トンネルを含む廃線跡の区間約1.6キロメートルを利用し、「吾妻峡レールバイクアガッタン」として足漕ぎ式のトロッコで走ることのできるアトラクションとして供用が開始された。往復約45分を要する。さらにダム近辺までコースを延長する準備が行われている。










