日本そばの歴史
日本を代表する料理として知られるそばは長い歴史を持ち、文献によれば日本への伝来は奈良時代以前といわれています。



 

古くはそばがきやそば焼きなどの食べ方が主流で、江戸時代の頃からそば切りという現在のスタイルが確立されたようです。
※歴史については諸説あります。
 

 

日本そばの魅力
好みに合わせて色々な食べ方を楽しめるのが日本そばの魅力です。


 

代表的なものが、一口ずつつゆにつけて食べる「もりそば」「ざるそば」と、丼に温かいつゆをたっぷりかける「かけそば」です。

また、10月の新そばの季節にはとくに香り高いそばが味わえます。


 

そばの日
毎月末日「そばの日」
毎年大晦日の年越しそばが有名ですが、12月に限らず毎月の末日(みそか)は日本麺業団体連合会が制定する「そばの日」です。


 

形の通り「細く長く」の願いを込めた商売繁盛の縁起物として、江戸時代の商人たちが月末に好んで食べたという風習に由来しています。

歴史ある伝統食おそばは、日本中で様々な食べ方をされてきました。時には温かく時には冷たく、味付けに工夫をこらし、気候や風土に合わせておそばをよりおいしく味わいたい。

 

ここでは全国の個性的な日本そばを紹介します。
ご当地日本そば


わんこそば(岩手県)

へぎそば(新潟県)

戸隠そば(長野県)

更科そば(長野県)

とうじそば(長野県)

韃靼そば(長野県)

出雲そば(島根県)

茶そば(京都府)

瓦そば(山口県)



 

アナゴ(穴子、海鰻、海鰻鱺)
ウナギ目アナゴ科に属する魚類の総称。ウナギによく似た細長い体型の海水魚で、食用や観賞用で利用される種類を多く含む。


 

30以上の属と150以上の種類が知られる。好みの環境や水深は種類によって異なり、砂泥底、岩礁域、浅い海、深海と、様々な環境に多種多様な種類が生息する。

マアナゴ、ゴテンアナゴ、ギンアナゴ、クロアナゴ、キリアナゴ、チンアナゴなど多くの種類があるが、日本で「アナゴ」といえば浅い海の砂泥底に生息し、食用に多く漁獲されるマアナゴを指すことが多い。


 

日本料理において、マアナゴはウナギと同様に開き、天ぷら、蒲焼、煮穴子、寿司種、八幡巻(牛蒡をアナゴの身で巻いたもの)などで食べられている。


 

蒲焼では、たれの状況次第では、より高価なウナギとアナゴは味が区別できない場合もあるという。

一本丸ごと揚げた天麩羅は天丼や天ぷらそばなどに乗せると丼からはみ出す様が見栄えがし、価格も手ごろなため、名物としている店も多い。


 

江戸時代から東京湾の羽田沖で捕れたものが江戸前の本場物とされ、現在でも東京湾岸各地で漁場となっている。また、瀬戸内海で捕れたものなども地元や関西地方で珍重されている。

岡山県の郷土料理として生の幼魚(ノレソレ)をポン酢で食べる「ベタラ」がある。


 

広島県の廿日市市宮島・宮島口では穴子の蒲焼を飯に載せた「あなご飯」が名物である。山陽本線宮島口駅の駅弁として考案されたのが元祖で、宮島名物として定着した。千葉県富津市ではアナゴのことを「はかりめ」と呼ぶ。


 

アサリ(浅蜊、蛤仔、鯏)
異歯亜綱マルスダレガイ上科マルスダレガイ科に属する二枚貝の一種。食用として重要な貝の一つである。広義にはアサリ属に属する二枚貝の総称で、日本でもアサリ以外にヒメアサリもアサリと呼ぶ場合が多い。

日本の俳句文化においては「三春」の季語。


 

食材
アサリの味噌汁
日本や朝鮮半島南部では古くから食用とされ、貝塚などから数多くの貝殻が出土する。

現在では、潮汁や味噌汁の具、酒蒸し、和え物、しぐれ煮とするほか、ヴォンゴレスパゲッティやクラムチャウダーの具などにも用いる。




ビタミンB1を破壊する酵素であるアノイリナーゼを含むため、生食には向かないとの見方もあるが、伝統的にポルトガルやチリなどでは生で賞味されている。


 

着底後はほとんど移動しないという生態のため貝毒が蓄積されていることがあり、浜名湖アサリ貝毒事件のようにアサリの貝毒による集団食中毒事件も起こっている。

 

 

深川めし
アサリ、ハマグリ、アオヤギなどの貝類とネギなどの野菜などを煮込んだ汁物を米飯に掛けたものや、炊き込んだもの。深川丼またはアサリ飯と呼ぶこともある。


 

貝の産地ではポピュラーな調理法だが、東京の深川が代表格であるためこのように呼ばれている。2000年前後から増え始めた深川めし屋の多くは炊き込みタイプである。


 

深川の漁師たちが仕事の合間に食べる賄い飯であった「ぶっかけめし」が現在の深川めしのルーツとされ、古くはアサリではなく、江戸の深川近辺で大量にとれたバカガイ(アオヤギ)を用いた。アサリを使うようになったのは明治・大正頃である。


 

明治時代のスラム街ルポルタージュである『最暗黒の東京』(松原岩五郎、明治26年)では「車夫の食物」の項目に、「深川飯 - 是はバカのむきみに葱を刻み入れて熟烹し、客来れば白飯を丼に盛りて其上へかけて出す即席料理なり、一碗同じく一銭五厘尋常の人には磯臭き匂ひして食ふに堪へざるが如しと雖も彼の社会に於ては冬日尤も簡易なる飲食店として大に繁昌せり」と紹介されており、当時は決して中流階級の食卓に並ぶようなものではない、下層階級の食事であったことを窺わせる。