あれはダディーと付き合い始めてしばらくした頃だと思います。
デートでダウンタウンにあったSteppsというステーキハウスのハッピーアワーにいたんです。
そこへダディーの元同僚で独立してデベロッパーのサポートをする会社を作ったおじさんとその取り巻き(当時はそのように見えた)の人たちがいて、
軽く紹介などをし合い、また別の席に戻りました。
それから数週間後かな?そのおじさんの会社で受付の子を探しているらしく、私が日本人と知って是非お願いしたいとダディーを通じて打診を受けました。
当時ロサンゼルスはロドニー・キング氏をボコボコにした警官の裁判の結果の不服による暴動があったその半年後ぐらいかな?
市内を復興させるための再建が始まったところでした。
当時はまだサウスセントラルには日系人もいて、彼のクライアントには小さなマーケットを壊された人たちも多かったよう。
そのお話をもらった時マジ無理と思いました![]()
だって私はまだろくに英語が話せない![]()
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バイト先のレストランにはアメリカ人のお客さんが多くてもちろん英語で接客してたけど、
まあその程度、そんなちゃんとしたオフィスで通じるようなもんではない!
でもダディーが、「ルビー、don’t worry! You speak English!」って何度も言ってくれたので、
おう、じゃあやってみるわ〜!と無謀にもお世話になったのでありました。
わぁ、もう30年ほど前のことになるんですね〜。
その会社はプランナーが二人のこぢんまりした会社。おじさん(ここから社長と呼ぶことにします)は私のことを気に入ってくれて、多分いっぱいあっただろう電話の伝言ミスなども大目に見てくれました。
ここで私は最初に英語や英会話の基礎みたいのを身につけて、
申請書の入力や校正などから語彙や文章力も学んでいくのでありました。
そのうちプランナーたちも入れ替わり、又は人手不足になったりと、私が申請書を書くということになったりして、
クライアントの応対などもしてプランナーもどきになっていきました。
社長は沢山のアドバイスをしてくれて私の成長を見守ってくれました。
彼は楽しいことが大好きで、ランチをご馳走してくれるのはしょっちゅう、ディナーやハッピーアワーにもよく行きました。
お話も面白く、よく故郷のメンフィスを離れてロサンゼルスに来た時のこと、人種差別にあったこと、家族の愚痴など下手すると暗くなりがちな話も笑える話になってました。
私も気兼ねなく意見したり、心のうちを話したり。
私は若い頃自分の父とは仲が悪く、というか嫌いだったので、心が打ち解けたことなんてありませんでした。
なので社長はFather Figure、私にとってアメリカのお父さんです。
彼の会社では15年お世話になり、そのあと私は本格的にプランナーとしてのキャリアを積むことになります。
それからはたまにしか会えず、でも社長は電話をくれたり(私からの電話は留守電がいっぱいでメッセージも残せない
)。
私が二回目の乳がんの治療中に彼は初期の前立腺がんに罹ってしまい、奇しくもがん友になってしまいましたがその後の経過は良かったようです。
その私のアメリカのお父さんが、
先日亡くなったということでした。
ダディーが連絡役の知り合いから訃報を受け私に伝えてくれたのですが、
まだ全く実感がないというか、
泣き虫の私なのに涙もでてこない。
まだ亡くなったいきさつなども聞いていないからなのか。
11月13日、サンクスギビングのホリデーを控えた時で、ご家族もどうしていいのかわからない状態だったそう。
今週サービスがあるのですが、酸素ボンベ必須なのと抗がん剤治療で見かけが激しく変わってしまった私は人目がとても気にするので参加できません。
行きたいのはやまやまですが。ダディーが代表で行ってくれます。
確か84、85歳だと思います。長生きの家系だったようなのでまだまだ人生を楽しみたかったんじゃないかなと思います。
アメリカのお父さん、沢山過ごした時間と沢山の思い出をどうもありがとう。大大大好きでした。今はただご冥福を祈るばかりです。
