さ~渋谷区の坂道も 残すは後11坂 ![]()
日曜は 暑くなる前 6時半頃から 坂道探険ジョグよ![]()
明治通りを恵比寿方面へ
いつもは 夕暮れ時の時間との勝負だけど
日曜日は 暑くなる前に終わらせる勝負
まぁ・・・勝負って程のもんじゃありませんがね![]()
まず 東2丁目と3丁目の間の坂道
なにせ 長いのよ・・・・だらだら423メートル
緩やかに左カーブして 上がるとね
坂道の由来
服部南郭は、江戸中期の儒学者。漢詩人で幼名を勘助、のち元喬といい字を子遷、書斎を芙キョ(※)舘と称しました。
この場所は、南郭の別邸があったところで、邸前にある坂道は、昔から南郭坂あるいは富士見坂と呼ばれてきました。
南郭は、天和三年(一六八三)に京都に生まれ、十六歳の時に和歌と絵画をもって江戸の柳沢吉保に仕え、また、荻生徂徠の門人となって、古文辞学と詩を学びました。三十四歳の時、柳沢家を辞し、ここの別邸で塾を開いて在野の人となり、もっぱら漢詩文に親しみ、後継者の育成に努めました。宝暦九年(一七五九)没。享年七十七歳。
著書に「南郭文集」「大東世語」「南郭先生燈下書」などがあります。
(※)「キョ」は「くさかんむり」に「渠」。
と 言う事で この坂道の名前が付けられたみたい
坂道を上がると 都立広尾高校
信号待ちで しばし休憩・・・・・・
高校裏まで坂道は続く
坂の上から パシャ
長い坂道だって わかるかな?
高校前まで下り 左折
広尾小前を渡り 広尾1丁目を走る
ネギ山坂
55メートルと短いけど 勾配は結構なもんだったよ![]()
昔 この辺りは ネギ畑の山だったんだってさ
それで ネギ山坂なんだってぇ
今じゃ・・・広尾の高級住宅街よ![]()
下って上がって また下って 今度は 恵比寿橋目指して 走る
ビール坂
だらだらと 超緩やかな坂道から だんだん坂道らしくなり
上がると サッポロビール工場なので ビール坂と名前があるみたい
この 韓国家庭料理の店 ワンスの軍艦鍋美味しくて 2度ほど行ったけど
また 冬になったら食べに行きたくなっちゃったわ
ダラダラ 後半急になる 457メートルの坂道
ビール坂を上がって 左方向へ 恵比寿2丁目10番地辺りから 路地に入る
伊達坂
坂下の風景 本当に細い路地
普通に アパートの間にあるんだ
坂道の始まり 坂は 右に急カーブ
右にカーブして すぐ左にカーブ
坂の上から
カーブ2か所ある 急坂道でした
79メートルと短いけど ご馳走さまでした・・・っていう感じの坂道よ 
【この坂について】
恵比寿3丁目5と7の間から曲がりながら南方に上る傾斜のある坂道です。
東京都渋谷区立白根記念郷土記念館『渋谷の坂』(昭和60年)には、
「恵比寿駅東口から田町駅方面に通じるバス路線に面する恵比寿3丁目の1番と2番との間の横町を入ると、屈折した急坂にさしかかる。この坂が伊達坂である。この坂上に享保3年(1718)から。伊予宇和島藩の伊達家の下屋敷があった。それ以前は、長府藩毛利甲斐守綱元の拝領屋敷で、坪数は約11,000坪あったという。この家敷(ママ)が享保3年9月に上知となり、伊達家の下屋敷となったもので、同家はその後維新に至るまで変化はなかった。
明治22年(1889)から、この伊達屋敷があった一帯が伊達跡、その東側の地域が伊達前と称されるようになったが、昭和3年(1928)には両町が合併して伊達町となった。この坂名や町名は、いうまでもなく、伊達邸に由来するものである。
なお、現在恵比寿駅方面から田町駅方面に向かうバス路線に「伊達坂上」(恵比寿2丁目)という停留所があるが、このバス路線の坂道が伊達坂ではないので注意を要する。」
とあります。
そこから外苑西通りに向かう
だんだん日差しが キツクなってきた
次の目的の坂まで 普通に坂道だし・・・・
恵比寿って坂道だらけ・・・・
続く








