東京タワー近くを歩いていたり、芝公園を散歩していると、心地よい鐘の音が響いてくる事があります。

多分、増上寺の鐘の音ではないか?と思っています。


鐘の音は、時に心地よい気持ちにさせてくれると思っています。


禅宗の寺では、朝のお勤めの時間や、時報がわりに夕方鐘をつく風習があるので、その時間に合わせて鳴らしているのか?とも思っています。

基本的には、寺の鐘は修行僧が鳴らす事が多く、一般の観光客や檀家さんは鳴らせない…というか鐘を気軽につくことは出来ないと聞いています。


また、以前は梵鐘をつかせてくれたお寺でも、最近は近所からの苦情やお願いで、時間の制約を作ったお寺や、止めてしまったお寺もあると聞きますが、お寺に梵鐘があっても音を出せないのは本末転倒、非常に勿体無いことと感じています。



場所は書けませんが、とある場所にある、とあるお寺。

「誰でも気軽につける(鳴らせる)鐘」があるお寺があるのです。



今の住職に聞いたところ、大晦日の除夜の鐘の時、コロナ前は300人を越える方が鐘を突きにきたそうです。必ずしも檀家さんではなく、「鐘をついてみたい」と思った方、SNSで知って来た方が多いらしい。コロナ禍で120人ほどに減ってしまったそうですが、昨年の大晦日は220人ほどに復活したのだとか。


大晦日の除夜の鐘は、108個鳴らすと昔聞いたことがあります。
これは、人間には108個の煩悩(人間の苦しみ原因になるもの)があるとされています。
欲求や欲望など心を惑わす「煩わしい悩み」は積もり積もって108個。
これらを大晦日に全て洗い流して、清い心で新年を迎える…そんな教えの延長線上にあると思っています。

誰でもつける梵鐘は、大きな本格的な梵鐘。


寺が多い京都に出向いて、梵鐘を専門的に作る業者を2軒回り、値段の高い業者に梵鐘を特注で依頼したそうです。梵鐘を作る時には、この寺の前の住職が鋳造場に一緒に出向き読経の中、型に溶けた材料が流し込まれたそうです。その時間はわずか10分。

そして、2週間型の中で冷やされ梵鐘が出来上がったそうですよ。


梵鐘には、漢文で文字が彫られています。

本当は、現代語(口語)で文章を彫る予定だったけど、文章よりも漢文にする事で、その時代時代の解釈が出来るので、その方が良いのでは?との寄付者の意見で漢文になったそうです。


この寺に行きますと、梵鐘の前に「つき方のマナー」が書いてあります。
気持ちを落ち着かせると、余韻が素晴らしい良い音。
邪念があると、濁った音になるそう。
体験してみると、確かにそうだなグッと感じるのが不思議です。

そして、先に出した増上寺近くで聞いた鐘の音と同じように、この寺の鐘の音も良い音で鳴り響き心地よい余韻がずっと続いていくんですよ。


このお寺の鐘ができた時は、周囲は田んぼと畑ばかりでした。お寺も小さかった。
時代は変わり、周囲には住宅が増え、墓石も増え、人々が集う大きな寺になっています。

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何故このお寺の梵鐘に詳しいのか?疑問に思った方も多いと思うので最後に書いておきたいと思います。



この寺に梵鐘を寄贈したのは、祖父母なのです。既に故人です。

信心深い祖父母は、お寺は死んだ人を祀っている場所…ではなく人々の生活に根ざしたお寺になってほしい…という気持ち、寺なのに梵鐘が無いのは残念…など色々な気持ちがあって、京都まで梵鐘を見に行きつくらせたそうです。最近父からこの話を聞きました。


また祖父母は京都に行った折、大きな寺院(どこかわからないけど)の本堂に天蓋が付けられているのを見て、「お寺には天蓋も必要なのか〜」と思い、父に「天蓋を付けたい」と相談したそうです。

困った父は長兄に相談したそうです。


長兄は、友達の某脚本家に相談して、その脚本家の方と天蓋を作ってくれる業者に注文したそうです。今、寺では元々あった小さな天蓋は奥の位牌堂に、祖父母が寄付した大きな立派な天蓋が本堂の天井に吊り下がっているんです。長兄も脚本家も既に故人です。


さて、梵鐘の話に戻ります。

京都から寺に運ばれた梵鐘は、梵鐘を吊るために作った釣鐘堂に納められ、数名の住職の読経の後に檀家の皆さんが見守る中「除幕式」が行われました。


その除幕式の紐を引っ張った人物…それが僕なのです。