前回の続きです。
高校を卒業して大手菓子メーカーの工場に就職しました。
各務原市に会社があり、交代制勤務の関係で寮に入るのが嫌で運転免許を取ろうとしたら入社式に間に合わなくて自動車学校を途中で辞める(今は保証してくれる)ことになり、配属が決まってから寮に入り、再度自動車学校に行きたかったのですが、仕事が落ち着くのと大学生が夏休みを利用して免許を取るため入校出来たのがお盆明けで、取るのに3か月もかかりました。
そのため社会人2年目にならないとライブが見れず、それでも小堺一機さんのおすましでSHOWと岐阜市で行われたバービーボーイズと大江千里さんのライブを見ることが出来ました。
その大江千里さんのライブこそが沼落ちのきっかけでした。
明石家さんまさんが大竹しのぶさんと入籍後に見たひょうきん族のかまへんライダーというコントに夜ヒット生放送のリハーサルの合間を縫ってひょうきん族の収録現場を見学していた千里さんをさんまさんが引っ張ってコントに参加したときに「草津節」の合いの手が歌えなくてさんまさんに怒られていたのを見たのがきっかけでファンになりました。
本来なら今問題となっている「蛙化現象」で嫌いになると思いきや、千里さんに対して気取っているというイメージがあったので見方が変わりました。
大竹しのぶさんもそうですが、故大川慶次郎氏や佐野史郎さんや福本豊さんや現在日本ハム二軍監督の木田優夫氏や浅田美代子さんもさんまさんがきっかけで見方が変わった有名人です。
当時千里さんのライブチケットが入手するのが困難で、弟がサンデーフォークというイベンターの会員(それも大学1年なのに)に入っていて、親の顰蹙を買ってまで電話しまくり、取れたチケットが2階席。
どうしたら良い席で見れるのと弟に聞いたらファンクラブに入るしかないと言われ、年明けに岐阜中央郵便局で大学入試志願の書類を出す高校生に混じってファンクラブ入会しました。
サザンの時は公式サイトから資料取り寄せで、コンビニ払いでした。
ファンクラブに加入しても、その年の野外ライブは東京のいとこに会うこと優先で見れず、秋からのツアーは翌年の1月公演じゃないと見れませんでした。
ファンクラブに加入したおかげで神席でした。
ライブが見れるようになったもの、家の中では大変なことが起きていました。
私が就職した年に可愛がっていた柴犬が亡くなったことで祖父が認知症になり、ファンクラブに加入した翌年に熱中症で入院しました。その時に納涼千里天国が今のベルーナドームであり、祖父が入院していた病院にはヘルパーさんがいたのと症状も安定していたので2泊3日で行きました。
その時に仲の良かった友達が私を利用して男友達と会っていて、その友達が父親に絶対服従の家に育け、カンニングでクラス1のヤンキーより先に親の呼び出しがあった人で、感の鋭いクラスメートに「あの子とは付き合わない方が良い。」と陰で忠告を受けたくらい性格に問題のある人で絶縁しました。
納涼千里天国を見に行った3週間後くらいに祖父が亡くなりました。
千里さん以外にもいろんなアーティストのライブに行きました。
ただしサザンは取れませんでした。
祖父の一周忌が終わった1か月後に父が初期の腎臓がんであることが解りました。
当時勤務していた会社の工場12月は土曜日もフル稼働で、その時に千里さんのクリスマスライブが横浜アリーナと大阪城ホールであり、大阪城ホールなら何とか行けると思って無理矢理有給を取って大阪に行くことが決まっていました。
幸い父の回復も良くて、クリスマスには退院出来たもの、抗がん剤の副作用で些細なことでイライラするようになりました。
中学高校と自由がなかった反動で遊び呆けていた私はやりたい放題のピーク期だったのでボーナスがたくさん貰える立場でも親子関係は最悪でした。
集団生活に馴染めなくて寮を出たこともあり、寮も戻れず、遊び呆けていたので独り暮らしする考えもありませんでした。
90年代とはいえどもまだ「25歳までに結婚しないと惨めになる」という呪縛もあって見合い話も来ていたけど逃げました。
同級生の中には結婚した人や男性が少ない職場ということもあって早々に結婚した先輩や同期もいました。
24歳になり、遊び呆けていることに親も苦言を言うようになりました。
翌年、阪神大震災とオウムの事件が起き、自分自身もいろんなあって職場に居づらくなりました。
その年の秋に仲が良かった友達が結婚し、お見合いもしたけど結婚して自由がなくなることが怖くて断りました。
様々なストレスが重なり、後輩が自分より先に給料のランクが上がることを知ってショックを受けたことで6年9ヶ月勤務していた会社を辞めました。
それ以上に工場特有の閉塞した環境に耐えれなくなったのと友達が出来ず職場でぼっちだったのに耐えれなくなったのもライブにのめり込んだ原因でした。
次回につづく。