こんにちは、かっぱです。

 

今日は、ちょっと

小難しいことを、書こうと思います。

 

入り組んだこと。

でも、シンプルかもしれないこと。

 

・・・・・・・・・・・・

 

「お母さんは

 私を好きじゃない。

 ただ、産んだからという理由で

 責任感から私を育てているんだ。」

 

子どものころ、

そんな風に感じていた。

きっちり言語化はできてなかったけれども。

 

「だから、

 私もお母さんを全然好きじゃない。」

 

そうに、思っていた。

 

この感覚は、大人になって

パートナーシップに陰を落とした。

 

元夫は、この感覚を

拭い去ってくれる人だったけれども。

私の「傷」こそを

愛してくれると実感させてくれたけれども。

それゆえに

バランスの取れた大人のパートナーシップに

進めなかった。

 

所さん、はらぺこくんとの関係では、

母に対して持っていた感覚を

時々、強く感じた。

 

つきあっているけれども

私のことをそれほど好きじゃないのでは?

たまたま、そこに私がいたからってだけ。

つきあっている義務感から

私に連絡したり、会ったりしてるのでは?

 

こうやって、

文章にしてみると、変なこと言ってるって

わかるんだけども

どうも、この

「ちゃんとは愛されてないのでは?」

という感覚は、親密な関係になると

湧いて出てくるのだった。

 

私ではなくてはいけない理由が欲しい。

私だからこそ、愛しているのだ、と

実感させてほしい。

強く強く、欲しがられたい。

 

ずっとそんな欲求を抱いていた。

 

愛の言葉をもらって

いったん、満足しても

すぐ渇く。

 

「私でなくても、いいんじゃないの?」

 

**********

 

ところが、

最近、少しわかったことがある。

 

母との関係を癒すワークに

取り組んだりしてみたからか。

 

ふと気がついた。

 

あれー?

お母さんって、

今もちょくちょく、私に電話してくるよね。

小包で野菜やらお菓子やら、たくさん送ってくれる。

そんで、かっぱ子やかっぱ太郎のことも

いつも心配しているし、

帰省すると、孫が来て大喜びする。

 

かっぱ子やかっぱ太郎は、

別に、特段、性格の良い子というわけではない。

 

何かがすごく秀でているというわけでもない。

 

なんなら

「ばあばは、口うるさくてうざい」とか

ツレナイ言葉を吐いたりする。

 

なのになのに、

母にとっては、

よそのどんな子どもよりも可愛い孫のようである。

 

つまり・・・

「孫である」というだけで

愛しているようである。

 

かっぱ子やかっぱ太郎が

どんな子であっても、

何をしようとも、それは揺るがないらしい。

 

ということは・・・

娘である私も、実はそうなのでは・・・???

 

子どもの頃、

「かっぱは、本当に可愛げない。

 お前みたいな子は

 将来、友達が1人もいなくなるだろう」

なんてことを、母に言われたなぁ。

 

相性の悪い母と娘だったと思う。

 

にも関わらず

母は、今でも私の健康を気遣い、

帰省すれば、大喜びしてくれる。

 

可愛げがなくても、

気が合わなくても

「娘」というだけで、

私のことを愛してるんじゃないか??

・

・

・

という事実にやっと気がついた。

 

「どんな私であっても愛される」

そういう「無条件の愛」を

私は親からもらいそこねた、と

ずーーっと思ってきた。

 

ところが

あれ?

こうやって、よく振り返ると

どんな私でも愛されていたみたいよ?

 

「ちゃんと1日30品目食べなきゃだめ!」

「仕事ばっかりして体を壊すよ!」

「馬鹿だね!病気になるなんて!

 なんでもっと体を大切にしない!?」

「タコ足配線は今すぐやめなさい!

 テレビで、火事のニュースを見たよ。」

「まさか、あんた、飲み会とか出歩いてないだろうね。

 コロナになったらどうするの!」

 

こんな、こんな

口うるさいお説教ばっかりなんだけど

 

これって全部、

「かっぱを災いから守りたい」

という想いなんだな~

って、気が付いた。

 

私自身、生まれたばかりの娘や息子を

手に抱いた時を思い出す。

 

この命を

どんな悪いことからも守り抜きたい・・・

 

お腹の底から、そんな風に感じたものだ。

 

母は、しっかり母だったんだ。

 

ちっとも「お母さん」らしくない。

包容力のカケラもなくて

話を全然聞いてくれなくて

心配ばっかりかぶせてきて・・・

って、思っていたけれど

 

「子どもを守りたい」

ただその一心の、

いじましいまでの母親だったんだ、

と気が付いた。

 

そして、私は

ずーーーーーっと、守られてきた。

だから、こうやって元気で

にこにこ笑って、今も暮らしていられる。

 

ああ、

ちゃんと愛されていたじゃないかーー

 

 

そして

 

母が私を愛するのに

理由はない。

それもわかった。

 

ただ、生まれてきたから。

私という魂と出会ったから。

だから、愛しているんだな。

 

********

 

この感覚が体でわかってから

 

私は、すこーし、変わってきた。

 

はらぺこくんも

きっとそうなんだ、

と、腹に落ちた。

 

「好き」の理由は、

探そうと思えば、もちろん色々あるだろう。

 

でも、本質的な理由は、

とってもシンプル。

 

出会ったから。

 

はらぺこくんの魂と

私の魂が出会ったから。

 

親が生まれたばかりの我が子を

特別だと信じて愛するように

 

私たちは、出会って

特別に感じたから、愛するようになった。

 

そこに、たまたま私がいたから・・・

 

それでいいんだと思う。

 

母に、私という子が

たまたま産まれて

その子を自明のように愛するのと同じく

 

性格がいいから、とか

見た目が好みだから、とか

話が合うから、とか

そういうことは超越して

 

出会ったから、愛する。

 

ある意味、

私でなくても、いいのかもしれない。

同時に

私でなくては、ならないのだろう。

 

そんな矛盾も

そのまま、わかったような気持ちになっている。

 

 

 

 

(おわり)