ブログ記事『加賀百万石というと前田家なんです(2)前田利家』の続きより
相手に警戒心を持たせないということは、バカになること。
オープンマインドで「私はあなたには何の疑いもありません」と。
しかしそれは相手の裏を書くための戦術で、プロ野球・ヤクルトや楽天などで監督をしていた野村克也氏なんかがよくやってたパターンなのはいうまでもなく。
利家の子であり、兄の養子であり

2代目加賀藩藩主・前田利常。彼は前田利家の息子でありながら、初代藩主・利長の養子でもある。
そもそも彼の母親は大河ドラマで「私にお任せください」といったまつではなく(だからいってないって、現実にゃ)、千代保という下級武士の娘。6歳になるまで姉の嫁ぎ先で育てられたという。利家にはじめて会ったのが6歳の時で、利家が死ぬ前の年だったとか。
1600年の関ヶ原の戦いの際は、西軍敗北のため人質となったが同年跡継ぎのいなかった利長の養子になって、利光と名を改めた。同時に当時3歳だった徳川秀忠の娘・珠姫を妻に娶り、1605年に2代藩主となった。
大阪冬の陣・夏の陣では徳川方につき、恩賞として「阿波・讃岐・伊予・土佐の四国」を与えられる予定だったがこれを固辞し、これまでどおりの加賀・能登・越中の3か国の安堵を望んで認められた。
金沢での利光は1629年に利光から利常へ名を改めた。これは当時の将軍が三代将軍家光だったため、重複することで避けたといえる。
しかし、1631年に大御所・徳川秀忠が病床であるにもかかわらず金沢城を補修するなどしていたが、これが幕府への謀反だという疑惑を持たれたが自ら懸命に弁明した結果、からくも疑いを解くことができた。
鼻毛の殿さま
もともと父・利家が存命中から徳川家にとって恐るべき存在としてみなされていたこともあり、「何もないですよ」とアピールして警戒心を持たせないために対策を立てていたのはいうまでもなく。特に利常は、利家と体躯が似ていることで尚更だったのかもしれないけど。
例えば、鼻毛を伸ばすことでアホ殿を装ったり。
江戸城に「小便禁止、やったら罰金」という立て看板に対して「大名が黄金惜しさに小便を我慢するものか」と言い放ったり。
どんだけ大物やねん!といいたくなるくらい。
だけど、それはフェイクであって。
実際は金沢の文化的発展などに力を注ぎ、今日の金沢に至ってると言える。
特に金沢が美術工芸が盛んだというのも、利常が江戸や京都などから優れた名工を集めたからだということ。
正室・珠姫つながりで京都の朝廷と親交を深めていたというからだそうで(妹が後水尾天皇の后だったとか)

金沢城 (写真提供:金沢市)