こないだ『毒親』についての話を書きまして、自分がもし『毒親』となった場合、子どもとの関係が途切れてしまうことがあります。
子どもに客観性があれば、自分の親が自分にとって良い存在なのか、そうじゃない存在なのかが見えてきます。
もし、そうじゃなかった場合、子どもの方から、親から離れていくことがあります。
親と、子どもは、たまたまその親の家庭に生まれただけであって、人生を共に生きなければいけないわけではありません。
子どもにとって、親が辛い存在ならば、決別して、離れて生きていくことだってできます。
それすら、子どもは、自分の選択として選ぶことができます。
自分が親の立場で、子どもがその決断をした場合、こちらはそれを受け入れるしかありません。
その選択を捻じ曲げようとするならば、それこそ、親の越権行為というか、親には子どもの人生を好きにしていい道理はないんです。
それがどれだけ自分にとって、都合の悪いことであっても。
親子の"関係性"というのは、日常的な、親子のコミュニケーションの積み重ねによるものです。
一朝一夕で、今の関係性ができたわけではありません。
今の関係が良いものであっても、悪いものであっても、それは長い年月をかけて構築してきたものです。
だから、子どもが「親と決別する」という決断を下してから、コミュニケーションの取り方を変えても、その決断を覆すことは難しいでしょう。
親とは、子どもにとって、絶対的な存在ではありません。
『絶対的』というのは、親の言うことは絶対で、親が絶対的に正しくて、子どもはそれに従うべきだ、親の言うことは素直に聞くべきだ、っていう考え方ね。
子どもは、遅くとも思春期あたりに気付き始めます。
子どもは気付いているのに、親自身が
「親という立場は、子どもにとって絶対的ではない」
っていうことに気付かないことがあります。
そこの勘違いを続けていると、子どもはいずれ親と決別することがあります。
それは『親離れ』っていう成長過程の一つの段階ではなくて、親への不信感から来るものです。
こないだ書いていた『毒親』っていうのは、そういう親子間での"ミス"コミュニケーションの蓄積によって、生まれたものだろう、って思います。
言ってみれば、『毒親』っていうのは、子ども側からの悲痛な叫びというか、そのミスコミュニケーションの蓄積からくる恨みみたいなもの。
じゃあ、親が子どもから見放されてしまえば、それでもう親子の関係は修復できないのか、っていうと、そんなこともありません。
『毒親』のメルマガを読んで、送ってくれたメールを紹介させてもらいますね。
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『毒親』メルマガ。
なかなか痛いと感じましたが、佐伯さんの愛を感じるメルマガでした。
親を否定したって、なんも幸せなこと、起きないよ?
ですよね。
ちょっと長くなりますが、私のここのところの親子変化を、ご報告です。
セルフコーチングで、私の脳内の育った家族の模様を、紙に書き出し、見える化しました。
脳内をグルグルしていたもの、感情、気持ち、母の口癖など全て。
毒を全て書き出した後、新たな紙に、それでも存在した、プラス(リソース)を書き出してみました。
そこには、
父の代わりに柱になってくれた長女。
母の代わりに愛情を注いでくれた次女。
2人に護られた私は母を支え、その母は父を支え、その父は家族全体を守っている姿が浮かびあがりました。
あぁ、護られてた、私、と思いました。
そして、つい先日のこと。
夫にされたことが我慢の限界で、結婚して初めて、実家に逃げ帰りました。
1番帰りたくない場所で、1番帰りたかった場所です。
突然現れた私に、父は言いました。
「よく来た。
もう帰らなくていいからな。
ずっといていいからな。」
私が何も説明していないのに、そんな言葉をかけてくれました。
あたたかさに泣けました。
そして、その夜。
私はずっと心に溜めてきた気持ちを、母に告げたくなりました。
「私が殺されかけたあの日、(暴漢に後ろから羽交い締めにされ、頭を何十発も殴られた日)『お前が全部悪い』って言われて悲しかった。
私が命の危険にさらされても、私は守ってもらえないことが、ずっと苦しかった!」
母の興奮のスイッチが入り、ボロクソに言い返されました。
「言わないお前が悪い。
今ごろなぜそんなことを蒸し返す。
全然記憶ない。
お前の不注意が全ての原因だろ!
私が悪いって言いたいのか?
それでお前は親に金をせびりに来たのか?」
「私は口が聞けなかった。
言えなかった!
ずっと毎日、夫婦喧嘩の家で、ずっと怖くてたまらなかった!!」
父が私と母の手を強く握っていたので、殴り合いにはなりませんでした(笑)
「親のこと嫌いなら、さっさと自分の家で幸せに暮らしたらいい。
お前の子育ては…。あんたの旦那が…。
こどもたちだって…。
私は何も悪くない。
私ほどいい人間はいない。」
「私の家族のこと悪く言うな!!帰る!!」
で、父にお礼を言い、自分の家に帰りました。
あんなに恐れていた母と言い合い、気持ちを初めてぶつけました。
興奮した母は相当エキセントリックでしたが、もう怖さはありませんでした。
こどもの頃、疲れた父はこどもが近づくのを嫌がり、無関心に思えました。
言葉のキツイ母に暴力で応戦していた父。
家庭に恐怖しかみえず、愛がみえなかった。
でも父は言いました。
「仕事が本当にきつくて、馬鹿にされたり、ひどいいじめにあったりしたけど、こどもがものすごく可愛かったから、がんばれたんだ」
もう、死ぬまで親に会わなくていい。
そう思っていました。
こんな日が来るとは。
誰もが必死だった、あの頃。
みんな不器用に、それでも一生懸命生きてた。
不器用な父を支えた、不器用な母。
今は、不器用な母を支えている、不器用な父。
そんな両親の娘でした。
私の中で消えていた父が、今になり、力強く蘇りました。
家族が怖い。
そう怯えてきた私は、佐伯さんに出会い、コーチングに出会い、こんな風に変化してきました。
ありがたいことです。
佐伯さんに出会えて、本当によかった!!
いつも、ありがとうございます。
それでは、また。
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娘(送り主)が母親に言いたいことを伝えられたこと。
母親に理解してもらうことが大切なのではないです。
自分が、親に対して、言いたいことを言えたことが大切なんです。
ずっと怖れ続けてきた相手で、自分のことを理解してもらえた、ということがあまり無かった相手。
きっと、今回も、理解してもらえないだろう、っていう想定はあったと思います。
でも、母親への想いはずっとあった。
「自分が大変だった時に、分かってもらえなくて、悲しかった!!」
っていう想い。
伝えることに、相当な勇気が要ったと思います。
そして、その勇気に繋がったのが、子どもたち。
>父の代わりに柱になってくれた長女。
>母の代わりに愛情を注いでくれた次女。
親に愛されていなかった、と感じていても、子どもたちは自分を愛してくれる。
そのことは、本当に心の支えになったことだと思います。
そして、自分の言いたかったことを母親に伝えられた。
しかも、その時に、父親の優しさにも触れることができた。
冒頭にも書いたように、心の中で決心さえついていれば、親と決別したまんまだっていいんです。
それで、幸せな家族が築けない、っていうわけでもありませんから。
でも、親と向き合って、親に言えていなかったことを言うことで、前に進めることもあります。
親に恐怖を感じている場合、子どもから親に言いたいことを言うのは、恐怖が邪魔してなかなか言えません。
それでも、子どもたちに護られながら、言うことができた。
仲直りはできていなくても構いません。
「自分の気持ちを言えた」
っていうことが大切なんです。
親には、親の人生があって、子どもには、子どもの人生がある。
親は、子どもにとって絶対的な存在ではないけれど、それでも、子どもの心に禍根を残してしまうことがあります。
それも言ってしまえば、子どもの解釈に過ぎません。
「親は、こんなひどい存在だ」
みたいなのは、子どもがそう捉えているにすぎません。
だから、それも乗り越えるかどうかは、子どもの課題です。
自分の心にあったものを吐き出して浄化したいだけなのか、それとも、改めて、親との関係を良くしたいのか。
それとも、決別したまんまでもいいのか。
自分が生きやすければ、どれを選んだっていい。
そして、このメールで教えてくれているのは、
「いつからでも、親との関係は変えられる」
っていうこと。
子どもの頃は、怖かったけれど、自分の子どもたちに勇気をもらいながら、母親に想いをぶつけてみたら、母親は相変わらずだったけれど、父親の優しさに触れることができた。
今まで、「家族が怖い」って思ってきていたのが、変わった。
いつからでも、自分の勇気と、関わり方次第で、親との関係も変わる。
このメールを読みながら、そんなことを思いました。
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