卒寿を迎えた認知症の祖母の、驚くべき才能 ① | B型女アキヤスコの人生なんでもコトハジメ

卒寿を迎えた認知症の祖母の、驚くべき才能 ①

B型女のアキヤスコです。



昨日の6月18日は、

実家(岡山)の祖母の90歳・卒寿の誕生日でした。

昨夏に小雪さんにソウルリーディングしていただいた結果 (アメンバー記事)の中で

少し綴りましたが


実は、この祖母、私たちがこの家に引っ越した当日に

いきなり危篤状態になり、生死の境をさまよいました。



お葬式の準備までしていたのですが、無事生き返り、

お陰さまで今では、元気に暮らしています。



今日は、そんな祖母の不思議なエピソードをば。



*****



祖母は、次女(叔母)を産んでから腰がまがり

50歳になる頃には、前屈の姿勢が「起立」の状態。

以降、ずっと、下を見てばかりの姿勢でした。



長女で一人っ子。跡を継ぐために、婿(祖父)をとった人生。

それゆえ、彼女はあの家から一歩も出たことがありません。


(出たことがあるのは、初詣で家族皆で参拝するときぐらい。

あと、唯一の岡山県脱出は、叔母が千葉に嫁いで第一子を出産する際に

手伝いで上京したときぐらい)





日課は、腰が曲がった体で、徒歩10分のところにあるお稲荷様への参拝。

祖父が亡くなるその年まで、一日も欠かしたことがありません。



毎朝5時に起き、皆の朝ごはんを作り、

夜も、最後にお風呂に入り、皆が寝静まったのを確認してから

眠る・・・という生活をしていました。



祖父と祖母は、ほぼ毎日喧嘩をしていて、

神経質な祖母(A型)と、豪快な祖父(O型)は、毎食ごとに

食事の内容やら、何やらで、喧々諤々やってた記憶があります。




そんなに喧嘩するなら、離婚すりゃいいのに・・・と

幼心に思ったことも何度もありましたが、


それでも、私が高校生になる頃には

口は悪くても、お互いを気遣う祖父母を見て

「夫婦なんだな」としみじみ感じることも。





ところが。

そんな祖父の突然の癌発覚 。




コチラ の記事でも書きましたが、余命3カ月であることは

祖父本人にはもちろん、祖母にも伝えなかった母。



祖父の通夜の日も、葬儀の日も、

祖母は「腰が曲がっているから」という理由で、人目を避けたい、と申し出

自宅で行われた葬儀の間、ずーーーーっと私の部屋に籠ったまま

喪服にも着替えず、出てきませんでした。



火葬場にいったとき、確認のために係の人が棺桶の中を覗いたのですが


「困りますよ!こんなに沢山のものを入れられちゃ」


と、いきなり怒られました。



見ると、通夜までは無かった祖父の遺品が沢山 棺桶に入っているではないですか!


祖父がよく着ていた、冬物のジャケットから

議員活動をしていたときに履いていた靴、

自分の詩吟を録音していたテープレコーダー・・・。

(↑ホント、葬儀屋さんが「燃えませんから!」と困ってました・・・)




誰が入れたの?と問題になりましたが、誰も心当たりがない。



そうです。犯人は、祖母。




おそらく、祖母は、夜な夜な祖父の棺桶に近づき

もうすぐ冬がくるから、寒いと困ると思って・・・と、祖父のために

ジャケットを用意し、


これまで色々頑張ったね・・・と、祖父が力を入れたものなど

いろいろと品物をいれたのだと思います。




しかし、それから祖母は変わりました。



「絶対治る」と信じて、入院していた祖父の個室に寝泊まりすること1カ月。

腰がまがった体で、祖父を一生懸命支えていたのに


ある日、急に、祖父が亡くなるのですから


その喪失感たるや・・・。



当時の私は、結婚していなかったので「伴侶がいなくなる」ということが

よく分からなかったのですが、


(たった5年の結婚生活しかしてませんが)今なら、想像することはできます。




毎日行っていた、お稲荷さんの参拝もやめ、

毎朝祀っていた、神棚のお神酒などもやめ、仏壇への手合わせもやめ・・・。



そうすると、当然ですが、足が弱くなります。


歩くことをやめ、引きこもりがちになり、

食べるとき、トイレにいくとき、お風呂にいくときぐらいしか

寝床から出ないようになったのです。




祖父が亡くなってから3-4年が経とうとする頃には、

話さない・歩かない生活が影響したのか 祖母は認知症の症状が出始め、



同時に、

食事も、トイレも、お風呂も、自分の手足の筋力では出来ないようになりました。




その頃、私の結婚が決まり、

えびをを実家に連れて帰って、挨拶させてはいるのですが



祖母の中では、えびをは認知できない存在で

私は独身、ということになっていました。


(私の結婚式の日、祖母は一人でお留守番でした。

結婚後、えびをと一緒に帰省していたときも、客間の布団で横になっている

えびをを見て


「知らない人が家で寝てる!」


と騒いだことも・・・。)





私は、帰省したときだけしか祖母の面倒は見れませんでしたが

母は毎日です。



父も起業するし、母が勤めていた職場の皆さんからの相談は毎日あるし

やることテンコ盛りな毎日な中での、祖母の介護。


母も相当、疲れていたようでした。




そして、昨年の1月。

私が引っ越しをした日です。


母に「引っ越し終わったよ」と電話をしたら


「今ね、おばあちゃん、一晩中、ずーーーーっと発狂する、というか

大声出しながら、着てるもの全部脱ぐようになっちゃって、

鎮静剤を投与しましょう、ってヘルパーさんに言われて病院なの」


との返事。




「うーん、大丈夫かな」


と思っていたら。



その30分後。



「おばあちゃんが危篤だから、すぐ帰ってきて!」との電話がありました。


聞くと、病院の点滴(鎮静剤)があわなかったようで、

血圧・脈拍低下、意識不明、とのこと。



でもその時はもう19時。

しかも、家は段ボールまみれ・・・・。



その日はとりあえず、引っ越しで疲れた体を休めるべく寝るだけ寝て、

翌朝一番に えびをに、喪服のありかだけを伝えて、

私は岡山に帰ったのでした。



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あぁ!話が長くなってごめんなさい。

肝心な、祖母のすごい「才能」ですが、②で書きます!!!



これから、夕飯作らなくては!


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