前回からの続き(5月18日のこと)で、平城宮跡のことになります
門を真っ直ぐ行った所に建物があります
撮るの忘れてたので、最初の画像から切り抜いたのを貼っておきます🤣
こちらは東院庭園のことを紹介した資料館兼入り口となります

建物もそんな大きくないので、展示物も多くはないです
気になったものだけ撮りました😂

特に気になったものは、更に別で撮ったので、左右の解説を文字起こししておきます
平城宮・京の庭園遺跡
平城宮や一部の貴族の邸宅には庭園が営まれていました。都が遷った後、平城京は大部分が水田となったため、奈良時代の遺構が良好な状態で残っています。とりわけ、池のようにもともと地表面より低くつくられた施設の遺構の残存状態は良好で、池を中心とする平城宮東院庭園や平城京左京三条二坊六坪宮跡庭園などの遺跡では、 発掘調査によって庭園の全貌がほぼあきらかになりました。これらの庭園遺跡は、当時の庭園の空間構成・意匠・植栽などについて具体的に教えてくれる、たいへん貴重なものです。
平城京左京三条二坊六坪宮跡庭園
1975年、平城京の左京三条二坊六坪の地で、屈曲する石敷の池を中心とする庭園跡が発見されました。池には景石、岩島などを配し、西側には池を手前に春日山、御蓋山などの山々を眺めるように東向きの建物を配置しており、万葉集に詠まれた奈良時代の庭園の姿をここに見ることができます。このように当時の姿をよく残している例はきわめてまれなことから、1978年、国の特別史跡に指定されるとともに、 1992年には国の特別名勝にも指定されました。
現在の宮跡庭園は奈良市教育委員会が復原整備をおこなったもので、現ミ・ナーラ (商業施設)の南側において1984年から一般公開しています。
こちら以外にも、発掘され、復元されたものが特別名勝になった所があるようです😲
古代庭園の意匠・工法の系譜

直線的な石積護岸や汀(みぎわ)沿いの池底に敷かれた帯状の玉石など、前期東院庭園の池で用いられた意匠・ 工法は、7世紀の園池の系譜を引き継ぐものとみなすことができます。一方、改修後の後期東院庭園の池は、前期の池を下敷きにしつつ、池の形も出入りの多いものとするとともに、護岸についても平城京ですでに定着していた古墳周濠部を再利用して洲浜(すはま)とする工法を採用しており、全体的に大きな変更がみられます。なお、後期東院庭園の池の形については、朝鮮半島の宮苑・雁鴨池(アナプチ)からの影響を指摘する説もあります。後期東院庭園で採用された出入りの多い池の形や洲浜の意匠・工法は、平安時代以降の園池に受け継がれてゆきます。
解説されたことが、図によって説明されていみすが、後期東院庭園の意匠が後の平等院庭園や鳥羽離宮庭園へと繋がっていくというのは当たり前にしても流れが感じられて面白かったです😄
模型もあり、その模型の解説

平城宮東院庭園 遺構模型
〔模型縮尺1:50〕
東院庭園の池は、奈良時代中頃に大きく造り替えられています。
奈良時代前半の池(下層遺構)は玉石を用いたやや急な勾配の岸で、岸近くの池底には平らな石を敷き詰めていました。また、池の西南隅からは曲水の宴に用いた蛇行する満が見つかりました。
奈良時代後半の池(上層遺構)は前半の池を浅く埋め立てて造っています。池底から岸までゆるやかに小石を敷き詰めた洲浜にし、景石を配した岬をところどころに設け、北岸には築山石組みも造られました。池には橋が架けられ、周囲には建物が配置されました。
模型には主に上層遺構を表示していますが、部分的に掘り下げた下層遺構も表示しています。
その発掘された時の模型など展示してあります😊


こちらの建物には、スタンプラリーのスタンプもあります
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ


