前回からの続き(3月8日のこと)です

国道2号線で須磨まで戻ってきました
というのも行きがけに神戸須磨シーワールドへ行く途中で、気になった神社があったからです
綱敷天満宮
住所・兵庫県神戸市須磨区天神町2丁目1-11
通称・須磨の天神さま
旧社格・村社
               神饌幤帛料供進神社
御祭神・天満大神(菅原道真)
駐車場・無料のがあり
由緒
 菅原道真が大宰府へ左遷された際、船で向かう途中に須磨の浦で嵐による高波に遭い、この須磨の地で休むことになりました
  その時に里の漁師たちが綱に取り付けた網を丸くたばねて敷き、円座をこしらえて道真をもてなしました
   その後、祠を建ててお祀りしたのが綱敷天満宮の始まりということです

一の鳥居

再び須磨に寄って訪れたのは、この時期まだ梅を見てなかったのですが、境内に梅が咲き誇っていたから爆笑
そんななので撮影されてる人も多かったです😊

北海道の名付け親
松浦武四郎と須磨綱敷天満宮
  文政元年(1818)寅年の2月6日、伊勢国一志郡須川村(現・三雲町)小野江の郷士の四男として生まれる。先祖は肥前松浦党の一族で伊勢にうつり多気(たけ)の城主北島氏の家臣として土着した。武四郎は幕末の探検家であり、志士であり、この激動の時代にアイヌの惨状に心痛した民俗学者・地理学者・ 植物学者・言語学者でもある。数度にわたり蝦夷地と樺太の探検を敢行、それに諸国を踏破している。
  明治8年(1875)10月、58才の時、上野東照宮に径三尺もある銅鏡を奉納、また京都北野天満宮にも神鏡を奉納し、そして明治12年には大阪の天満宮へ13年には吉野の金峯神社へ15年には九州太宰府天満宮へそれぞれ神鏡を奉納した。武四郎は明治21年(1888)東京で死す
71才であった。
住江東一著「北海道人」より抜粋
  ここ須磨綱敷天満宮は聖跡第十四番の神鏡が奉納されています。かつてはこの社から北へ約弐百米余りの旧西国街道の一隅に「聖蹟二十五拝第十四番綱敷天満堂前発起人東京松浦武四郎」と書かれた道標があり(須磨在住の郷土史家間島保夫氏の調査による)武四郎が前記の神鏡を社前に参詣奉納したことの証でもありました。この道標は平成7年1月17日の阪神・淡路大震災の際に倒壊消失した。
  菅公御神忌千百年記念
    奉納 間島吉延 久子
(原文のまま)

外から見てもでしたが、境内に入っても見事でした😄

手水舎

龍神社
その昔、当宮の池に龍神社があり龍神さまがお祀りされていましたが、この地へご遷座しました

本殿
その前にはいろいろ祀られ?ています
そのことは追々紹介していきます指差し

本殿右側
人が少なく感じますが、うまく人が少ない時に撮れたからです
( *´艸`)

本殿アップで

本殿前の牛さん

凄い個性的な狛犬もいました爆笑

ちょっと狼寄りのタイプ!?😁

エッとなったのがこちら🤣
波乗り祈願
才能を発揮し夢を叶える
時代の波に乗り成功を収める
人生の荒波を乗りきる
ことを祈願して作られたそうですひらめき

その足元にはこんなものも

椅子?
ここで写真撮られてる方もおられました😄

全景

こちらは由緒にあった綱を円座にしたものを模したもの
綱敷の円座

解説
綱敷の円座
綱敷天満宮の名前の由来は、菅原道真公が太宰府へ左遷される途中、須磨の浦で嵐に会い一時上陸されたおりに、須磨の漁師たちが松の陰の下に綱を渦巻き状にして円座を設け、道真公にお座りいただき、丁寧に歓待申し上げたことにあります。
「綱敷の円座」は、綱敷天満宮の由緒でもある綱でつくった円座をモチーフにした縁起像です。ここに座り、精神統一しながら道真公をお偲び申し上げることで、御加護を得ることができます。
(原文のまま)

本殿の前にはなすの腰かけびっくり
願いを叶える「なすのこしかけ」
「なす」の花はひとつの無駄もなく実を結び、また「成す」と語呂が同じ処より、努力はむくわれ、願いが叶えられるという縁起をふくみます。
「なす」に腰かけ、本殿に向かっていを込めれば、どんな願いも呼そられます。
「なす守り」は社務所にございます。
(原文のまま)

今回は本殿近くの梅で締めくくります





綱敷天満宮のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ