前回からの続き(1月11日のこと)です
御池通りを東へ向かい、烏丸通りを下って(南下して)行きました
三条通りまでくると、右手にレトロな建物が見えます
京都銀行 三条支店

住所・京都市中京区烏丸通三条南入饅頭屋町591
旧第一勧業銀行京都支店
竣工・明治39(1906)年
設計・辰野・葛西建築事務所
施設・銀行
構造・煉瓦造2階建
補足
大正8(1919)年、清水組の設計で烏丸通り入口から南の部分が増設され現在の姿となる
(建築MAP京都参照)
窓枠から屋根にかけて

入り口周辺

入り口の上をアップで

こちらは史跡の跡でもあるようでした
解説

三條南殿の遺址
この建物の敷地には、昔三條南職という邸宅があった。三條南殿は、三條、烏丸、六角、 室町の四つの通に画された方121メートルの邸宅であった。初め左大臣藤原実能(さねよし)の邸宅であったこの三條南殿は、長承2年(1133)ごろ実施によって鳥羽上皇に献上され上皇の御所となった。これがいつ鳥羽上皇の皇女の上西門院【じょうさいもんいん・総(むね)子内親王】の御所になったかは不明であるが、恐らくそれは仁平元年(1151)のことであったらしい。それ以来、三條南殿は文治5年(1189) 7月に崩御されるまで、上西門院の御所となっていた。特記されるのは、保元3年(1158)から翌平治元年にかけて、若き日の源頼朝が上西門院の官人としてこの御所で勤務していたことである。その後、すなわち建久8年(1197)三條南殿は、 後鳥羽天皇の生母の七條院【藤原殖(たね)子】の御所となり、安貞2年(1228)に崩御されるまで女院はここに住んでおられた。 平安時代後期から鎌倉時代中期まで勢威ある女院の御所であったため、歴代の天皇はしばしば三條南殿に行幸された。また女院の女房には才媛が多かったため、この御所は和歌文化の有力な中心の一つをなしていたのである。
昭和50年5月
平安博物館
昭和50年5月
平安博物館


