前回からの続き(1月2日のこと)です
茶づなの近くに気になる史跡があったので、周辺を散策します
画像は整理して、駅から茶づなへ向かう順で再構成してあります🙇

気になった史跡というのは、近くにある太閤堤でしたひらめき
それらのことが、パネルを使ってあちこちで紹介されています
まず最初に見るのはこちら
浜の茶園

こんな風に、解説板が透明パネルになっていて、そこに当時の景色が描かれています
それ越しに今の景色を見ると、合成されて現代に昔の光景が見えるようになっていますニコニコ

解説
浜の茶園
  宇治川本流の背後に当たる現在地は、上流からの砂がたまりやすく、中州が発達していました。砂地は水はけがよく、茶園の適地となりました。この河川敷の茶園を「浜の茶園」と呼びます。
  宇治の茶園では、4月頃から覆いをかけることで旨味の強い碾茶(てんちゃ・抹茶)や玉露を作ります。覆いは丸太杭と竹で棚を作り、その上によしずを広げ、藁(わら)を敷いた「本ず」と呼ばれるものでしたが、 昭和40年代から黒い化学繊維を用いたものに変わっていきました。
(以下、原文のまま)

次にあったのは、こんな石垣


こちらにももちろん解説があります

パネル越しに見るとこんな感じ

解説
段丘崖(だんきゅうがい)につくられた石出し[復元] 
 南エリアの川岸は、もともと平坦だった土地が宇治川の流れで削られてできた崖面(がけめん)です。その背後は安定した土地であり、弥生時代や古墳時代の集落が営まれていました。ここでは大掛かりな護岸工事は行われず、崖裾(がけすそ)に捨石を積むか石列を設けていました。南エリアでは石出しが2基ありますが、崖面に直接造りつけられていました。 
  なお、この1m下には、実際の石出しが保存されています。

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再現された石出し

次はこちら

解説
茶園に囲まれた石出し[復元] 
 石出しは川の流れの中に突き出して造られるため、激流によって大きく破壊されることもありました。南エリアの石出しは宇治川本流の背後にあったため、中州が発達し埋没していきました。
その後、中州は茶園として利用され、壊れた石出しの上まで茶園が形成されました。石出しの真上に植えられた茶樹は根が伸びないため、生育が悪かったようです。。
  なお、この1m下には、実際の石出しが保存されています。

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再現された石出し

茶づみの周りにもこんな石が多くある所があります


貯水施設の役目も持っているとか!?🤔





建物の近くに石碑
史跡 宇治川太閤堤跡

堤より陸側に再現されています


その先に解説パネル


解説
密に打たれた杭止め護岸[復元]
  中エリアの付近は、東方から宇治川に流れ出る小河川が形成した谷になっています。ここでの護岸は細い杭を密に打ち込み、 その裏側に礫(れき)を詰めるとともに、杭が前に倒れないよう板を渡し、 太い杭でそれを押さえる形態となっており、これを杭止め護岸と呼んでいます。
  中エリアでは地下に小河川の溝があるため、平面的に復元しています。
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パネルを合わせるとこんな感じ


太閤堤のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ