前回からの続き(令和6年12月7日のこと)です

先に書いた記事を道なりに行くと、瑳峨天皇陵の前を通ります

更に道なりに村の中を行くと、やっと左手に直指庵の看板が出てくるので、そちらの道へ入って行きます


そこからもしばらく村の中を歩く感じになりますが、山に入って行ったところでやっと山門が見えてきました😅
直指庵(じきしあん)
住所・京都市右京区北嵯峨北ノ段町三番地
御本尊・阿弥陀如来
駐車場・なし
こちらは京都文殊(知恵の寺)という霊場の1つだったので気になっていたんです😄
ただ霊場会としての活動は今は休止のようです😔

駒札
直指庵(じきしあん)
  祥鳳山と号する浄土宗の寺である。
  もとは黄檗宗に属し、正保3年(1646)に日本黄葉宗の開祖・隠元禅師の法燈を継ぐ独照(どくしょう)禅師が、この地に没蹤庵(もっしょうあん)という一宇の草庵を営んだのが起こりと伝えられる。以後、諸堂が整えられ大寺となったが、禅の「直指人心(じきしじんしん)」の教えに従って、寺名を定めず、直指庵と称した。
  その後、次第に寺は荒廃したが、幕末の頃、近衛家の老女村岡局によって再興された。局は、近衛忠熙に仕え、動王の志士たちと近衛家及びその他の公卿との連絡に当たっていたが、安政の大獄に連座し、江戸に送られた。後に、許されて帰洛し、 嵯峨のこの地に隠栖(いんせい)し、付近の子女の教育に努めた。本堂北の竹林の中に局の墓がある。諸堂は、 明治13年(1880)に焼失したが、有志の人々の手によって再建された。
  本堂には、本尊阿弥陀如来像を安置し、開山堂には、独照禅師の本像を祀る円塔がある。
  京都市
(原文のまま)

山門
平成24(2014)年、知恩院の山門が移築されたものだそうです
建築部材自体は、元禄16(1703)年のものということです
(以下、解説は由緒書き参照)

寺号標

通常は非公開です💦
公開されてたこの時は、こういう感じで見学(参拝)することが出来ました😌
その時によって変わることがあるかもしれません!?🤔

今回も紅葉が見事だったのですが、初めて行った所なので、最初は寺院紹介編で、次は紅葉をまとめてアップしたいと思ってます😁
なんせ境内一帯が紅葉しまくっていて、お寺の紹介だけのつもりでも、もれなく紅葉が写ってしまう状態なんです🤣

本堂の手前
本堂は明治12(1879)年に焼失したため、明治32(1899)年に再建されたもの

本堂から来た方を望む

横に移動して

こちらの境内には石楠花が約100株植わっているそうです
その時期に公開されてるかが問題ですが😅

本堂横の建物入り口

その少し先に愛逢い地蔵

本堂の横に書院?🤔

真っ直ぐ行くと、石塔があったり

モリアオガエルなんかもいるようですあんぐり
モリアオガエル(天然記念物) 
 初夏から夏にかけて、池の周囲の樹木に白い泡状の卵を産み付ける。その中には約四百個もつまっているそうだ。
別名延命小袋といい一見すると寿命が延びるといわれている。
(原文のまま)

真っ直ぐ先に見えるのは待合

手前の左側にに上り坂があったので、そちらへ行きます
そこにあるのが与謝野晶子の碑
夕ぐれを 花にかかるる 小狐の にこ毛にびびく 北嵯峨の鐘
晶子

そこを上がった所に開山堂
開山堂
直指庵を開いた独照性円禅師の墓所。
宝形造りの堂の中央に墓を示す大円塔がある。堂前の巨石は独照自からが「出でて吾が塔を護る・・・」と序した亀石である。
(原文のまま)

再び参道に戻って歩いて行くと
津崎村岡局の墓

駒札
勤王の女傑
村岡局(津崎矩子 1786〜1873)
  天明6年(1786)大覚寺宮の家来津崎左京の娘として生まれた、矩子は幼年より事理にさとく利発さゆえに13才 (8歳の説もある)の時に近衛家に仕え、当主忠熙の信頼を受け「陽明家(近衛家)の清少納言」と言われた。近衛家では村岡と呼ばれ、後には老女の地位に昇った。
  村岡局は、安政6年尊皇攘夷を主義とする志士の申し出を主人である左大臣近衛忠熙に取り次ぎ便宜をはかったとの罪で江戸に投獄された。世に言う安政の大獄である。
  村岡局は、かって島津斉彬の養女篤姫が一三代将軍徳川家定の正室として江戸に向かった時、その養母となって江戸城に行き、将軍や諸大名の面前で七汁二十二菜のご馳走を平らげ、「願いのものを何なりと与えようー」との将軍の言葉に対し「わが主家近衛家の柱臣を将軍家の側に置かれたいー」と述べて一同を驚嘆させた。その時に頂載した三つ葉葵の杖を散らした打掛を着て評定所の白砂に座ったのであるから、安政の大獄の苛酷になれた奉行も村岡局の扱いに困った。74才の時である、禁固三十日に処されて永謹慎を言い渡され、嵯峨に帰り、直指庵に入って近衛家代々の冥福を祈りながら風月を友とし、里の人々の教養につとめた。
  老女村岡局は、明治天皇から年々二十石を下賜され、 明治6年8月23日に88才で寂した、村岡局自筆で津崎氏村岡矩子之墓と刻んである。
  生前無位の女性に対する死後の贈位で最高位の従四位が明治24年明治天皇より贈られた。
(原文のまま)

その横には五輪塔

待合の先には水子地蔵尊が祀られています
近年ではこちらの水子地蔵尊をお参りされる方が子供を授かられることから「子授け地蔵」とも呼ばれているそうです😌

更に奥があります

そこには想い出草観音像
想い出草観音菩薩
五千冊以上の想い出草ノートに綴られたさまざまな苦しみ・悲しみを取り除いて下さり、願いや祈りをくみ取って福楽を与えて下さる観音さまです。
(原文のまま)

その横にも石像がありました

参道を下に降りて、戻って行きます
すると左手にあるのは阿弥陀堂
こちらは特別拝観のみ公開となっていました

そこを少し行くと参道が二手に分かれていて、右手は来た参道に繋がります
左手は庭園を通って、最初に見た石灯籠の手前に出てきます

元に戻るまでにある石灯籠や

石碑

こちらで頂いた御朱印です



由緒書き

このような自然豊かなお寺でした
ただ残念なことは、通常は非公開で公開されてる時しか見れないことです😞
ブロ友さんの記事や、霊場(今は失くなってるかも)のことがあったので行きたいと思ってたのがやっと念願叶って行けました照れ
ただこれほどまでに紅葉が見事なとこだと思って無かったので、それも見れてダブルでラッキーでした!爆笑
このシーズンは、こちらと岡林院が当たりな場所でした😁
次はこちらの紅葉編となります
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ