前回からの続き(11月10日のこと)です
蹴上インクラインを上がったとこにある蹴上船溜手前の右手に次の会場があります
本願寺水道水源地

住所・京都市左京区粟田口山下町
建築情報
竣工年/明治28(1895)年
用途 /配水地
解説
江戸時代、東本願寺は4度も火災で焼失したそうです
そのため防火用水を送水するための防火用水道が東本願寺独自に敷設されたのがこちらということです
その距離約4.6km
東本願寺までの高低差48m
高低差だけで東本願寺まで送られているそうです![]()
2008年まで現役で使われていたということです
(京都モダン建築祭HPより)
・靴脱ぐとこなし
・撮影OK
・プールみたいなものなので人数制限とかもよほどじゃないと無さそうです
こちらは以前、近くを通っていて気になってたとこです😄
受付は水源地の入り口にありました

ちなみに、その近くにあるのは蹴上義経地蔵
こちらも記事にしています
蹴上義経地蔵 本願寺水道水源地のことも触れています😁
水源地はこのように柵で囲ってあるので、常は入れませんが、柵越しに見ることは出来ます

解説

こちらの解説は以前文字起こししてるので省略します
本願寺水道水源地に残る19世紀の建築文化

東本願寺の近代化事実のなかで、防火用水として1897 (明治30)年に完成した「本願寺水道」は、幕末の大火で焼失した伽藍再生と大きく関係するものでした。 本願寺水道の全長約 4.6kmに及ぶ導水管には、毎秒13・9リットルもの水量が送り込まれていましたが、水源はどのように確保されていたのでしょうか。 実は本願寺水道は、それより7年前に完成していた琵琶湖疎水(そすい)から流れを引き込んでいました。 琵琶湖疏水設計の立役者である田邊朔郎(たなべさくろう)の助力を得て建設された本額寺水道は、まるで親子関係のように琵湖疏水から取水して 水源地を設定していたのです。
長辺約18m、短辺約9m、深さ約3mと小さめの水泳プールのようにも見える水源地ですが、まず印象的なものは、白く輝く石積みの精巧さです。 周囲には京都東山の森が広がっていますが、それらの木々がもたらすオーガニックな感触とは異なり、水源地は幾何学的(きかがくてき)でどこか無機質的な肌合いすらまとっているように感じられます。日本ではないような、私たちにとってあまりなじみのない風景のなかに投げ込まれたような気分でした。 水源地から受けるこの独特の感覚はいったいなんなのでしょうか。
実はこれこそが、本議寺水道が建設された19世紀当時に、新たな建造物に施されたデザインの特徴なのです。
このころ、日本を巻き込んだ西欧文明の建築文化のなかで重視された表現が、過去の時代の歴史的建築をモデルにして建造物をデザインするというものでした。 これを歴史主義建築といいますが、とりわけ重宝された時代が古代ローマです。劇場などの公共建築や道路・水道といった土木インフラに長けた古代ローマの技術が、 千年以上を経た近代社会においてもモデルとされたのです。
水源地の近くの南神寺境内には赤レンガ造りで有名な「水路閣(すいろかく)」 (琵琶湖疏水分線)が残っていますが、これこそは古代ローマの水道橋がモデルとなった 歴史主義建築の代表例です。
つまり、水源地の白く輝く精巧な石積みとそこから受ける幾何学的・無質的な印象は、古代ローマの土木インフラをモデルとした歴史主義建築の影響と考えられるのです。 たとえば古代ローマの公衆浴場に、どこか雰囲気が似ているようにも見えませんか。水原地のどこか日本離れした感覚は、「外国」の古代文明をモデルとした 19世紀当時の建築文化に由来すると考えてみてはどうでしょうか。
一方で水源地のデザインは、西欧的で非日本的な要素ばかりではありません。周囲に積まれた石垣を観察すると、六角形あるいは五角形に切りそろえられた積み方にも目がとまります。実はこれは「亀甲(きっこう)積み」といって、江戸時代に流行した日本在来の石容技術です。
つまり水源地は、古代ローマの雰囲気を含んだ西欧的・非日本的な建築デザインを基調とする一方で、実際に石垣を積む際は近代以前の在来技術(亀甲積み)が いわば手癖のかたちで表現された建造物なのかもしれません。そしてそこには、西欧文明をいち早く学んだ田邊朔郎をはじめとした明治時代のエリートの指示を受けながら、 在来の技術を駆使して水源地を作り上げた石垣職人たちのすがたも目に浮かぶことでしょう。
まさしく和魂(わこん)洋才(ようさい)のひとつの成果として、本願寺水道の技術を現地で感じることができました。
そこには、19世紀の建築文化が表現されていたのです。
長辺約18m、短辺約9m、深さ約3mと小さめの水泳プールのようにも見える水源地ですが、まず印象的なものは、白く輝く石積みの精巧さです。 周囲には京都東山の森が広がっていますが、それらの木々がもたらすオーガニックな感触とは異なり、水源地は幾何学的(きかがくてき)でどこか無機質的な肌合いすらまとっているように感じられます。日本ではないような、私たちにとってあまりなじみのない風景のなかに投げ込まれたような気分でした。 水源地から受けるこの独特の感覚はいったいなんなのでしょうか。
実はこれこそが、本議寺水道が建設された19世紀当時に、新たな建造物に施されたデザインの特徴なのです。
このころ、日本を巻き込んだ西欧文明の建築文化のなかで重視された表現が、過去の時代の歴史的建築をモデルにして建造物をデザインするというものでした。 これを歴史主義建築といいますが、とりわけ重宝された時代が古代ローマです。劇場などの公共建築や道路・水道といった土木インフラに長けた古代ローマの技術が、 千年以上を経た近代社会においてもモデルとされたのです。
水源地の近くの南神寺境内には赤レンガ造りで有名な「水路閣(すいろかく)」 (琵琶湖疏水分線)が残っていますが、これこそは古代ローマの水道橋がモデルとなった 歴史主義建築の代表例です。
つまり、水源地の白く輝く精巧な石積みとそこから受ける幾何学的・無質的な印象は、古代ローマの土木インフラをモデルとした歴史主義建築の影響と考えられるのです。 たとえば古代ローマの公衆浴場に、どこか雰囲気が似ているようにも見えませんか。水原地のどこか日本離れした感覚は、「外国」の古代文明をモデルとした 19世紀当時の建築文化に由来すると考えてみてはどうでしょうか。
一方で水源地のデザインは、西欧的で非日本的な要素ばかりではありません。周囲に積まれた石垣を観察すると、六角形あるいは五角形に切りそろえられた積み方にも目がとまります。実はこれは「亀甲(きっこう)積み」といって、江戸時代に流行した日本在来の石容技術です。
つまり水源地は、古代ローマの雰囲気を含んだ西欧的・非日本的な建築デザインを基調とする一方で、実際に石垣を積む際は近代以前の在来技術(亀甲積み)が いわば手癖のかたちで表現された建造物なのかもしれません。そしてそこには、西欧文明をいち早く学んだ田邊朔郎をはじめとした明治時代のエリートの指示を受けながら、 在来の技術を駆使して水源地を作り上げた石垣職人たちのすがたも目に浮かぶことでしょう。
まさしく和魂(わこん)洋才(ようさい)のひとつの成果として、本願寺水道の技術を現地で感じることができました。
そこには、19世紀の建築文化が表現されていたのです。
「同朋」2022年7月号 「梅林秀行さんと歩く東本願寺水と緑の散歩道」より
(原文のまま)
こちらから入って行きます

これだけなんでほんとプールのようです

グルッと回って行きます

水源地から見た市街地

階段があります

綺麗に石が積まれてました


水の中は藻がいっぱい😂







