前回からの続き(11月9のこと)で、モダン建築祭のことです

次のモダン建築祭の会場へ行くため、車で移動しました
次に行ったのは京都大学!
大学行ってないし、行くことないから校内入るのだけでドキドキです🤣
そもそも入るとこが分からない!(曝)
で、Googleマップを見ながら、どうにかこうにかたどり着きました💦
場所的には、京都大学 総合博物館の横の坂を上がって行くとすぐありました😄
京都大学 尊攘堂
住所・京都市左京区吉田本町
建築情報
竣工年        /明治36(1903)年
設計            /不詳
施工            /不詳
構造・規模/煉瓦造平屋建、瓦葺
用途            /資料館
国登録有形文化財
解説
蔵のようなこじんまりとした外観ではあるものの、縦長窓や玄関ポーチなど、西洋的なデザインが施された和洋折衷のデザイン
現在は文学研究科附属文化遺産学・人文知連携センターの資料室
(京都モダン建築祭HPより)
・撮影全てOK
・入り口で靴を脱いで上がります。下駄箱に入れたんだったかな!?(もう忘れてる😂)雨の日でも支障ない所でした

解説
尊攘堂  登録有形文化財 
  尊攘堂の名は、品川弥二郎が恩師吉田松陰の 遺志をくんで、明治20年(1887)に高倉通錦小路に創設し、維新における尊王攘夷の功ある人々を記念したものに由来する。現在の建物は、品川の死後、本学に寄贈された松陰や志士の遺墨・遺品などをおさめるため、明治36年 (1903)に建てられた。外装を化粧した煉瓦造平屋建・寄棟屋根の擬洋風建築と呼ばれる建物で破風付きの窓、小屋根、切妻のボーチなどの洋風要素を配している。 
  現在、品川による遺墨・遺品などの寄贈資料は、 維新特別資料として京都大学附属図書館に 収蔵・保管されており、尊攘堂は文学研究科附属文化遺産学・人文知連携センター資料室として、 大学構内における埋蔵文化財の保存・展示に活用されている。 
 京都大学大学院文学研究科 
 附属文化遺産学・人文知連携センター
(原文のまま)

正面、右斜めから

外観・横側

窓部分のアップ

横と後ろ側

入り口をアップで

左側から

入り口の近くにもこんな石碑がありました

入り口扉手前から

入ってから、入り口の扉を

中に入ると、丸々ひと部屋だけで、そこに展示ケースが点々とあり、京大の敷地内で発掘された物が展示されていました
人はまあまあ居られたので、下の部分はそんな撮れてません😅
天井


一番奥のスペース
埴輪なども展示

こんな感じで展示ケースがあります

内側から見た窓

窓枠と天井付近の彫刻

窓枠と腰板

ごあいさつ
ごあいさつ 
  京都大学の構内には、縄文時代から近代にいたる長い歴史を刻んだ遺跡が数多く存在しています。最初の遺跡の発見は1923年に遡りますが、構内の遺跡が組織的に調査されるようになったのは1977年以降のことです。以来、40年以上にわたり、自然科学などの諸分野との学際的な研究も進めつつ、土地利用の歴史を明らかにしてきました。 
  これまでの調査で得られた成果を学内学外の方々に 観覧していただき、京都大学が遺跡の上にたつ大学であることを実感していただけたらと願っています。
(原文のまま)

なんせ京都という所は、掘れば遺跡に当たるような所なんで校内から出たと言ってもいろんな年代の物がありました😁

その中から僕が気になったものをピックアップして紹介します
乾山焼

解説
乾山焼(けんざんやき)
 乾山焼は尾形深省(しんせい・乾山:1663-1743) によって生み出された江戸時代中期のやきもので、陶磁器の世界に新風を吹き込んだ。京都西北部の鳴滝の地に窯を築き、のちに洛中の二条丁子屋町へ居を移すとともに、賀茂川の東、聖護院門前でやきもの作りを継続したことが文献史料に見える。病院構内東南辺の発掘調査で出土した乾山焼は、この聖護院窯に関連するものとして注目 される。
(原文のまま)

Σ(゜Д゜)
なんと蓮月焼まで展示してある!😆
蓮月焼があるということは、京都大学内のどこかに住んでたと読んでいたので、その跡とかあるのかスタッフの方に聞いてみたら、京大の遺跡発掘とかに携わってる方だったみたいで
ほっこり「京大病院辺りに住んでいたようですが、何も残ってないんです」
って教えて貰いました
残念😞
で、石碑があると何があったか分かって便利ですよね!?なんて話してたら、共感して貰えました😄
で、この後総合博物館へ行こうと思ってたので、こういうの展示してあるのか聞いてみたら、京大内で発掘されたものはここでしか展示されてないようなことを言われてましたびっくり
そういう意味では、建物見れるのも貴重でしたが、展示されてた物が見れたのも貴重だったようです照れ

解説
蓮月焼
 蓮月焼とは、幕末・明治初期の歌人 大田垣蓮月(1791-1875)が生活の糧として製作したやきものである。茶器を中心とするもので、手づくねで成形し自詠の歌で飾るのを特徴とした。その 素朴な趣が文人墨客から一般庶民へと広がりつつあった煎茶趣味に受け入れられ、蓮月焼として名声を博することになった。この蓮月焼が病院構内東南辺の発掘調査で多数出土した。 出土地点は、聖護院村で蓮月が居を構えたと推定できる場所である。
(原文のまま)

蓮月像アップで
この画像ではお婆さんですが、若い頃は美人であったそうですニコニコ
そんな蓮月(押して貰うとリンクしてます)ことは好きで過去にも書いています


作品

蓮月焼の特徴は、解説にもあったように陶器に歌が書いてことです

どれにもあるてしょ!?
盗作も多かったそうですが、生活が苦しい人がやってると「どうぞどうぞ」と見逃していたということです

埋もれた古道を探る

アップで
京大構内には、現在「志賀越え道」 や「山中越え」などと呼ばれている、京の荒神口と近江とを結ぶ通路「白川道」がはしっていました。幕末に尾張藩邸が設けられたことで途絶し、そのまま大学の敷地となりましたが、キャンパスの地下には、 最も古いものは今から900年あまり前の平安時代後期までさかのぼって、各時代の道路の遺構がいまも良好に残されています。
(原文のまま)
画像のアップ
これが常に見れないなんてもったいないって思いましたショボーン


こちらではクリアファイルが3種類のうち1つが頂けましたひらめき

選んだのはこちら

こんな資料も
こちらは構内で発掘されたものの紹介

発掘 乾山焼
これはまさに乾山焼が発掘された時のことなどが書かれたものでした

受付のところで、京都大学散策マップというのがあったので、どこで貰えるのか聞くと正門の所と聞いたのでそれ貰いと気になった所へこの後行きました
そんな訳で、この日のモダン建築祭で行った所はこれでお仕舞いです
この日のことは続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ