前回からの続き(11月9日のこと)です
今原町家を後にして、気になっていた所へ寄ります
気になっていたのは、堀川に架かっている「京都 橋のある暮らし」で紹介されていた橋でした
堀川第一橋(ほりかわだいいちきょう)

住所・京都市上京区中立売通堀川東入ル
架設年度・明治6(1873)年
諸元・橋長 14m、幅員 8.2m
形式・石造アーチ橋
京都市指定有形文化財
土木学会選奨土木遺産
(Wikipedia、CVV参照)
駒札

京都市指定有形文化財
堀川第一橋(中立売橋) 一基
堀川第一橋は、堀川の中立売通に架かる道路橋で、現在の橋に架け替えられる前から、地元では広く「中立売橋」と呼ばれてきた。 江戸時代に幕府が設置した中立売橋は、擬宝珠高欄付きの木製の橋であった。「洛中洛外図屏風」には、後水尾天皇が二条城への行幸に中立売橋を渡る様子が描かれるなど、御所と二条城を結ぶ道筋に架かる重要な橋であり、幕府が直轄で維持管理する 「公儀橋(こうぎばし)」であった。
明治時代になると中立老橋は京都府へ引き継がれた。明治6年 (17873)、中立売橋は永久に壊れることのないよう石の橋に架け替えられ、堀川で最初の「永久橋」として「荒川第一橋」と名付けられた。度々修理しているものの改造は少なく、建報当時の姿が良く残されている。
堀川第一橋は、伝統的な和風意匠を踏襲し、その構造は、石工の伝統技術により造られた全国的にも数少ない真円の石造アーチ橋である。近代的工法で建設されるコンクリートや鋼鉄の橋に移行する前の永久橋の形式が残るものとして、近代橋梁史上、価値が高い。
堀川第一橋は、市内の公機構を永久橋として架け替えた現存最古の石橋として貴重な橋である。
平成29年3月31日指定
京 都 市
(原文のまま)
土木学会選奨土木遺産プレート

東堀川通りから


親柱・下流右岸

下流・左岸

擬宝珠や高欄笠石が妙に白いのは、どうも調べてたときこの年(2024年7月)に事故で潰れたのが修理された跡のようです😅
上流・左岸

右岸・上流

下流側

ここの橋は上流には歩道があるのに、下流側には無いんです
だからか、下流側には人用の橋(人道橋)が架かっていました
これはそこから撮ってます![]()
欄干

橋から上流を望む

下流を望む

人道橋

橋の周辺

橋をいらわないために、遊歩道が川の真ん中通ってるんでしょうね!?🤔

石造りでなんとも言えない風情

動画も撮ってます
橋より少し下ったとこにも解説がありました

解説

市電堀川線の記憶
明治28年2月、我が国初の電気鉄道(京都電気鉄道)が京都に走りました。同年9月、堀川線(通称: 北野線)が東堀川通りに開通し、堀川中立売と、堀川下立売を結びました。その後は路線距離と乗降客数を順調に延ばし、市民に親しまれてきました。しかし、昭和36年7月末、自動車の普及などによる利用者の減少によっ て、ついに廃線となってしまいました。
堀川第一橋の下流に今でも残るレンガ積みの橋台は、 幅の狭い方(コンクリートのアーチ橋が架かっている部分)が単線時のもので、幅の広い方(両岸が南北にずれて いる)が複線化されてからのもので、日本で最初の電車が堀川に沿って走っていた記憶として、これからも次世代へ歴史を語り続けていくことでしょう。
堀川第一橋の下流に今でも残るレンガ積みの橋台は、 幅の狭い方(コンクリートのアーチ橋が架かっている部分)が単線時のもので、幅の広い方(両岸が南北にずれて いる)が複線化されてからのもので、日本で最初の電車が堀川に沿って走っていた記憶として、これからも次世代へ歴史を語り続けていくことでしょう。
鶴の橋「堀川第一橋」
石造りのアーチが一際目をひく堀川第一橋は、二条城と御所とを結ぶ公儀橋として明治6年に架橋されました。今でも残るその美しく重厚なデザインは、堀川の歴史と文化を感じさせてくれます。また、下流の下立売には、翌年の明治7年に架橋された同じく石造りのアーチ橋である堀川第二橋が残されていますが、南北へ新しく 拡幅されているため、その姿は橋の下からしか確認できません。第一橋は「鶴の橋」、第二橋は「亀の橋」と呼 ばれ、古くから人々に親しまれてきました。
京都市
(原文のまま)
画像のアップ

片方しか撮ってませんが、手前のレンガ造り橋台が単線時のもので

人道橋が架かってる方が複線化された時のものだと思います😄

こんな感じで、所々に市電の痕跡も残っています
この日のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ