前回からの続き(8月26日のこと)です
高槻市立しろあと歴史館を後にして、前の道路を西へ進みます
すると、すぐに信号があり、駒札があったので寄ってみましたニヤリ
住所・大阪府高槻市大手町3

高槻城厩廓 枡形門の石垣石

解説
高槻城厩廓 枡形門の石垣石
  これらの石は、昭和60年(1985)夏、市立第一中学校体育館の新築に伴う発掘調査で出土しました。い ずれも花崗岩で、元和3年(1617) に修築された近世高槻城の厩廓枡形門(うまやくるわますがたもん)の石垣に使われていたものです。 明治7年(1874)の高槻城破却時に、厩廓東内堀の堀底へ転落したとみられます。
  右側は木津川上流の京都府加茂、 左側は香川県小豆島の石切り場から運ばれた石材です。割れ面に並ぶ台形のくぼみは、石を割るために楔を打ち込んだ矢穴(やあな)といい、形や大きさでおよその時代がわかります。
   高槻市
(原文のまま)

こんな石が2つほどありました
分かりにくいですが、木の奥側にもあります💦

その後ろにある建物(高槻商工会議所)の前にも石碑と解説板がありました
高山右近天主教会堂趾
住所は上に同じ

解説
高山右近高槻天主教会堂跡
  戦国時代末期、 高槻は近畿地方におけるキリスト教布教の中心地でした。
  宣教師ルイス・フロイスの記録によると、天正2年(1574) 高槻城主高山右近 (ジュスト) と父親の飛騨守 (ダリオ)は、 古社の位置に池や庭園をともなった教会堂を建立し、この教会堂を拠点にキリスト教布教に力を注ぎました。
  高山右近の明石転封の後、しばらくして古社は元の場所に復帰したと伝えられていることから、当地周辺に教会堂があったと推定されています。
  高槻市教育委員会が平成10年(1998) におこなった高槻城三の丸跡発掘調査で、 蓋に十字架を墨書した木棺を含むキリシタンの墓地が発見され、教会堂に付属した墓地の一端が明かとなりました。
  高槻城跡の一画を占める当地は、日本におけるキリスト教布教の歴史を考えるうえで重要な位置にあることから、昭和24年(1949)5月9日に大阪府史跡に指定されました。
  平成11年7月27日
    大阪府教育委員会 
    高槻市教育委員会
(原文のまま)
前回アップした中で載せたしろあと歴史館で買った「高槻城発掘ものがたり」には、まさにその墓地跡や、出土した木棺が載っていました👍
気になられた方は、ぜひ行かれた時購入してください指差し

そちら側から見た高槻城公園芸術文化劇場です
なかなか映える建物です♪ラブ
次回はそちらのことになります
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ