前回からの続き(8月26日のこと)です
高槻城公園を北上すると信号があるので、そこを右折します
少し歩くと、あるのがこちら
高槻市立しろあと歴史館

住所・大阪府高槻市城内町1-7
休館日・月曜日
開館時間・10:00〜17:00
HP・たかつき歴史Web
駐車場・隣接した所に無料のが数台分あり
こちらで貰えるスタンプ
施設の入り口手前にあった石垣

その解説

高山右近の高槻城石垣
江戸時代の高槻城二の丸跡 (現在は高槻城公園芸術文化劇場) において、平成29年(2017) から 発掘調査を実施しました。 その結果、二の丸の地下から江戸時代以前の 「障子堀(しょうじぼり)」 と石垣を検出しました。 ここでは、その一部 を移築して展示しています。
障子堀とは、 堀底に土手を残して不規則なブロックに掘り下げ、泥を溜めて敵の動きを封じる施設です。 幅約16m×深さ約4mの逆台形で、屈曲して長さは約70m以上もありました。 関東の城郭ではよく用いられますが、 関西では非常に珍しい防御の仕掛けです。
この堀の上部で、低い石垣が確認されました。 堀底に転落した石材の量をふまえる と、3段以上は積まれていたとみられます。 石垣は杭で止めた胴木の上に据わり、 裏側には石材を安定させる拳大の栗石がみられました。 一方で、江戸時代の石垣のように石材の広い面をそろえて高く積むという意識は認められず、 石材は川原石 を中心に石灯籠などの転用材を含んでいました。 城郭に石垣を本格的に用いはじめる、戦国時代終わり頃の石垣だと評価できます。
永禄12年(1569) に織田信長が普請した足利義昭の御所(旧二条城/京都市)では、 稚拙な積み方ながら総石垣をほぼ実現していました。 元亀2年(1571) 頃に改修 された細川藤孝の勝龍寺城 (京都府長岡 京市)でも、 土居の上部や虎口に石垣を採用していました。 この高槻城の石垣も、天正元年(1573) 以降に城主となった 高山右近の時代までに築かれたと考えら れます。
(原文のまま)
施設の入り口右側にある木船

施設の中は撮れるのか確認出来なかったため画像はありません😅
入ったとこに、高槻市の模型があり、高槻城跡や芥川城跡の位置関係を確認することが出来ます
1階には常設展示や、特別展なども行われていますが、特別展は有料となります
展示は、高槻城のことだけでなく、高槻市の歴史についても知ることが出来るようになっていました
ボランティアガイドの方もおられ、話を聞いていると、昔は高槻市と言えば高山右近でしたが、近年では続日本100名城に選出された芥川城跡や、その城主ですあった三好長慶の方が推しのように言われてました
時代が変わると、そういうのも変わるものだと改めて思いました😅
公園から施設へ行く途中にも高山城跡について解説板がありました

後で気がついたのですが、上の画像右下にあるのは「高槻 まちかど遺跡」という遺跡の解説でした
こちらで買ったもの
高槻城の御城印(300円)

確か武将印もありましたあったかと思いますが、そちらは集めていないので頂いていません
企画展の図録
高槻城発掘ものがたり(100円)
こちらで貰ったリーフレットなど
高槻案内パンフレット

高槻市は古墳が豊富なことが知れます
食べるとこなども載っています
今度は古墳巡りで来てみても面白いかな!?なんて思えるほどでした
以前はこちらでマンホールカードを頂くことが出来たのですが、現在は車を駐車した「高槻城公園芸術文化劇場」にあるようだったので戻って聞いてみることにしました
この辺りのこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ







