前回からの続き(8月18日のこと)です
輪違屋を後にして、歩いて次の京の夏の旅の場所へやってきました
新徳寺
住所・京都市中京区壬生賀陽御所48
御本尊・准胝観音菩薩
駐車場・なし
歴史など
臨済宗永源寺派の寺院
元文4(1739)年、永源寺113世・天巖文聰(てんがんぶんそう)和尚の開山
万年寺など4つの寺院を併合して、新徳寺として建立
天明の大火により、本堂焼失
175年前に再建
(解説用紙より)


山門から望む

右手に本堂

屋根が反っているとか説明がありました

それと猿が2匹乗っていますひらめき



こちらは洛陽六地蔵巡りの1つでしたが、その霊場は無いようです!?
こちらの御本尊は、上にも書いたように准胝観音菩薩
(看板より切り取り)
この地蔵菩薩像は、御本尊の右脇壇に安置されています
(チケットより)
大風で壊れた屋根を直してくれた若い法師が地蔵菩薩の化身であったという言い伝えから「屋根葺(やねふき)地蔵尊」と呼ばれているということです
中に住職がおられて、その霊場のこととか聞いたら、どうも併合したお寺から来たもののようなことを言われてました🤔

本堂前の庭園

その中に桔梗


山門を左へ行くと玄関

玄関前の庭園


玄関入ったところで受付がありました

こちらでも解説をくれました

その先の部屋に授与所が設けられていて、御朱印(書置きのみ)を頂きました
その時に、住職にいろいろ話が聞けましたニコニコ
現在でも、新選組関係の子孫の交流がある話や、その子孫の人が同じ学校行ってたりというような話なんかも聞けました😄

その授与所から、右へ行くと本堂へ行けます
左側に小部屋
右側が本堂
本堂は直接撮れなかったので、チラッと|д゚)チラッ


この部屋に浪士組を率いた清河八郎が20日ほど滞在していたそうですびっくり
先代の住職が描かれたと言われたと思いますが、こちらと関係のある幕末の人物の絵が何枚かありました

その部屋から見える鶴亀の庭

庭園は近年直されて、その頃のものではないようです

こちらも確か先代の住職の作品

こちらは狩野芳崖絶筆のものを模写したものでした


清河八郎
1830〜1863年
庄内藩出身
豪農の長男
江戸へ出て、北辰一刀流剣術会得
さらに、昌平黌に学ぶ
全国各地を巡歴し、人脈を広げる
文久元(1861)年、両国で町人を切り、幕府に追われる
起死回生の策として、浪士組の結成を上申
提案を認可され、罪を許される
徳川家茂の上洛に際し、将軍警護の名目で浪士組も上洛
しかし、清河には魂胆があったのです
江戸を発った浪士たち234名が京都の壬生に到着
その時、清河が演説を行います
「将軍警護でなく、尊皇攘夷を目指す!」と
大勢は賛同しましたが、後に新選組となる近藤らは反発し、決別しました
浪士組は江戸に帰還することになり、近藤らは京に残り、新選組(当初は壬生浪士組)を結成します
清河はその後、幕府により佐々木只三郎らによって暗殺されてしまいます
清河八郎という名前は、幕末のこの時のみ聞くような気がしますが、当時は「東の清河八郎、西の吉田松陰」とまで言われるような人だったそうですびっくり
(解説、幕末維新人物事典参照)

こちらで頂いた御朱印(500円・書置きのみ)です

京の夏の旅は次回も続きます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ