前回からの続き(2月4日のこと)です
女人堂で入山料を納め、登山に入ります

史跡醍醐寺境内の石碑

「京都の自然二百選」醍醐山

その反対側に信心講紀念塔

登り口を振り返る

舗装されていないこんな道です

下の画像の左側みたいに道標があります
ここは六丁
勝手に十丁で頂上だと決め込んでいたので、自分で自分の首を締めていました真顔

少し上がると駒札がありました

駒札
 醍醐の花見
 慶長3年(1598年)3月15日、秀吉は一世の善美を尽くした花見をこの槍山だ催した。千畳敷きとも呼ばれる平地には新しい花見御殿がたてられた。又、女人堂から槍山の間には、長束正家をはじめ各武将により趣向をこらした茶屋八棟が設けられた。
 この花見にさきがけて山内馬場先から槍山に至る両側には畿内より集めた桜の木700本を植えさせた。
 花見の当日、秀吉は秀頼・北政所・西の丸(淀君)・松の丸・三の丸を従え、山下の桜が一望できる槍山の御殿で花見の和歌を短冊にしたため桜の枝につり下げた。秀吉の栄華を誇る豪華な花見であった。
[保存資料]重文・醍醐花見短冊(一三一葉・霊宝館所属)
                      重文・純浄観(旧花見茶屋・三宝院に移築)
   総本山 醍醐寺
(原文のまま)

その辺りは確かに少し平坦になってました

一瞬でしたけどね🤣

参道横の清水

動画も撮りました

石段とか出てくると、もうすぐ着く!?ひらめき
なんて期待しますが、そんな優しいものではありませんでした笑い泣き

こんなの見たら山頂手前とかって思うでしょ!?

不動の滝と言われる辺りで、ちょうど真ん中くらい?🤔
光がちょうど射して、なんだか神々しいおねがい



休憩所らしきものもありました

やっぱり真ん中くらいやん泣き笑い

こんな階段が続くのか!?と思ったら
続きません🤣

解説
 当山は平安の昔、貞観16(874)年に弘法大師の法孫、聖宝理源大師によって開かれたお寺であります。特に聖宝尊師は、修験道(山伏)の中興の祖と仰がれ、その遺風を今に残す山で貴重なる道場でもあります。山上には平安、室町、桃山の各時代の国宝建造物や、各種重要文化財が保存されています。又、全山が歴史的風土特別地区に指定されており、その保全の為、山林火災の予防には十分なる御協力をお願い致します。たき火の禁止は勿論、タバコの吸がらの後仕末、不用意に山の中へすてないで確実に消して下さい。
  お山は修行道にかぎらずとも、人間精神の道場である。
   頂上に立つ爽快さは、どうしても頂上に立つことなくしては体験できない。がんばれ、降りの道は苦しさを伴っても楽しい。人間精神を鍛える原始の場  山こそはその価値を失はぬ神秘の姿である。
山ざくら つづくや上の 醍醐まで 蝶夢
幾山河 遍路の遠き 浄土かな  玄空
ひとりする 行をたのしと おもいつつ
  醍醐山路の けはしきを踏む 勇
(原文のまま)

上醍醐へ登るまでは、ほぼ開けてないので下界が見えるのはこれくらいえー

そんな山道の途中に鳥居がありましたびっくり

音羽魔王大権現社

解説
奉納 音羽魔王大権現社
昔この地に天狗杉あり 諸国を遊行する天狗がこの木に腰かけ休むという  しかるにその大杉 老いつきて 天狗の休みところなきをいたみ 昭和10年8月10日 ときの座主 戒玉僧正はここに社殿を建て 音羽魔王大権現を祀りたり 年月を経て社殿いたみたるをみて 護持施主 東大阪市在住三宅盛三 盛晃夫妻は 新たに社殿 鳥居 玉垣を 建立寄進せり 依って その勝業を 茲に記す
     哲玄代
   平成4年8月6日
(原文のまま)

その辺りにあった石碑

これは読めない🤣

この立入禁止の看板が上醍醐に近づいた1つの目安になると思います指差し

上の画像で見えてたロープ

これを登りきると十六丁の道標

そして上醍醐の駒札🙌

次回から上醍醐編突入です爆笑
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ