前回からの続き(2月4日のこと)です
話は三宝院を出たとこからに戻ります
(´▽`;)ゞ

三宝院を後にして、左へ行くと境内から見た唐門を表から見ることになります
唐門(国宝)

駒札
桃山時代 慶長4年(1599)建立

アップ

その桜馬場を進んで行くと、仁王門(西大門)があります

駒札
重要文化財
金剛力士像
平安時代 長承3年(1134)建立
京都府指定建造物
仁王門(西大門)
桃山時代 慶長10年(1605)建立


ちょっと顔が大きめな仁王さんがおられます
( *´艸`)


仁王門から振り返った桜馬場
ここが春になると見事な光景になるんでしょうね♪照れ
で、後日ダイジェストでも書いたように行ってるんですけどね🤣

仁王門くぐったとこの受付で、拝観券の残ってる方をもいでもらいます
仁王門からが下醍醐になるようです
その参道

幟は立ってますが、台風でその両側の森はすっかり伐採されてしまい寂しい光景ショボーン

そこにはこちらの看板が
この場所は、以前は大木に覆われた醍醐の杜でした。
平成30年の台風によりすべての木がなぎ倒され、安全と景観のために撤去しております。
この地はかつて無量光院や灌頂院(現在の三宝院の前身)などの塔頭寺院があったことが醍醐寺文書に記されています。
この大切な地を1日も早く復興すべく努力しており、植樹も計画しております。
醍醐の杜の復興の日までお見守り頂きますよう、ご協力お願い申し上げます。
(原文のまま)
長尾天満宮へ行ったとき、この光景を見て驚いたものですガーン
この頃はあちこち木が倒れたり、鳥居が倒れたりしたのを見た年でもありました
この日も受付で、久しぶりに来られたと思われるおじさんが
えー?「ここ、もっと森みたいやったなぁ?」
と言われてました
その時を知っておられたら様変わりした光景に驚かれるのも無理ないなぁと思いました💦

参道を進んでまずは右手から行きました
こんな駒札があったので、こちらから入りました
すると、清滝宮本殿がありますが、上の画像の建物はその拝殿なんです
後から拝殿があると気づいたので、まずは記事ではそちらから紹介しますf(^^;

清滝宮拝殿
保元2(1157)年の本殿改造に際して舞殿を伴った形で建立される
現在の拝殿は近代に建て替えられ、当時と規模も形も異なるとのこと
(以降、京都・世界遺産手帳参照)
最初は拝殿と分からず、これがお堂かと思い、あちこち撮るという🤣

後ろの斜め

真後ろ
その後ろに

駒札

重要文化財
清滝宮
室町時代 永正14年(1517)建立
本尊 准胝観音
本尊 如意輪観音

清滝宮(重文)
三間社流造
檜皮葺
本殿の中央を合い間とする珍しい形式だということです
石垣の上にありました
上にある駒札には本尊 准胝観音・如意輪観音となってますが、本では別のことが書いてあったので載せておきます
祭神 清瀧権現(せいりゅうごんげん)
この清瀧権現というのはインドの娑伽羅(さがら)竜王の第3女で、この龍女は元中国にいて空海の師であった恵果(けいか)が住した青龍寺で密教を守護していたということです
空海の帰国に伴って海を渡り、高雄山寺(神護寺)に飛来
中国では「青龍」の名前だったのが、日本には海を越えてやって来たため、「青」と「龍」に「水」を加えて「清瀧」の文字となったということです
このため高雄山付近の地名が、清滝になったとか
その山下を流れる川が清滝川になったということです
醍醐寺へは、聖宝が上醍醐を開いて密教を流布する誓願をたてたため、醍醐山上に飛来して鎮座
それが上醍醐の清瀧宮本殿なんだそうです
ちなみに上醍醐の本殿が建立されたのは寛治2(1088)年、勝覚(しょうがく)座主によって
下醍醐へは、その10年後の永長2(1097)年に勧請されました
醍醐寺一山を守護する鎮守ということなので、思ってた以上に重要な意味合いのものでした🤔

下醍醐のことが続きます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ