前回からの続き(1月9日のこと)です
ギャラリーを抜けて、冬の旅で拝観出来る区画へ入ります
拝観券

その時にお土産じゃないけど、リーフレットとか頂きました😄

入ってた手提げ袋

由緒書き

しおり

行事の紹介

渡り廊下の先に特別公開されてる大寝殿があります

国登録有形文化財

大寝殿の側面


大寝殿の解説
 1864(元治元年)年の「蛤御門の変」(禁門の変)で両堂が焼失後、1867(慶応3)年に上棟され、現在の真宗本廟内で最も古い建物である。
 大寝殿は、表向諸殿(公式行事・儀式に使用される部分)の中心であり、かつては広間・対面所として使用されていた。
 現在では報恩講(ほうおんこう)のお斎接待や行事の集合場所などに使用されている他、法話会場もしても使用している。
 上段の間の障壁画は、1934(昭和9)年に竹内栖鳳(1864〜1942)によって描かれた。画題は向かって右から「風竹野雀(ふうちくゆじゃく)」「歓喜(かんぎ)」「古柳眠鷺(こりゅうみんろ)」である。それぞれ現世の闘争・遇法(ぐほう)の喜び・浄土の寂静を表している。
(原文のまま)

中はこんな感じでした

奥に竹内栖鳳が描いたという障壁画

右側には風竹野雀(ふうちくやじゃく)

前にあった解説によると
 強い風に吹かれ、大きく枝がしなっている竹林の中を二羽の雀が飛翔しながら争っている姿が描かれ、現世の闘争と煩悩が表現されており、南側の古柳眠鷺とは対照的な表現となっている。
(原文のまま)

中央には歓喜(かんぎ)


前にあった解説によると
 対照的な画題を示す両脇の水墨花鳥図に対して、着色画で描かれているため、美しく引き立ち、大寝殿を荘厳している。暖かなひだまりで餌を啄む雀が色彩豊かに描かれ、遇法の喜びが表現されている。中央に一部損傷補修の後が残されているが、元々二羽の雀が描かれていたと類推されている。
(原文のまま)

最後は左側の古柳眠鷺(こりゅうみんろ)
前にあった解説によると
 雪景色に生い立つ柳よ古木の上で静かに休む白鷺の姿が、風竹野雀の動態表現に対して静態表現で描かれている。今にも折れてしまいそうな柳の枝先に白鷺が休んでいる姿を通して浄土の寂静が表現されている。
(原文のまま)
室内にはパネルで東本願寺のことが紹介してあったと思います
絵だけ見たらサッサと出てしまったので(;^_^A

その大寝殿の前には来るときに見た菊門

アップ

解説
 菊門は1615年の「1国1城令」によって、1624年に伏見城が取り壊しになった際に、その遺構として移された。
 烏丸通からみた門扉に菊の紋章があるため、菊門といわれているが、1907(明治40)年頃から1984(昭和59)年までは勅使門といわれていた。
 普段は門が閉められているが、御遠忌等の大法要では、結願日中に大寝殿から法衣を着用した僧侶等が行列をなして、大寝殿を出発し、菊門から烏丸通に出て、御影堂門より境内に入り、御影堂にいたる道程で「庭儀」という参堂列が行われる。
(原文のまま)

画像の廊下を真っ直ぐ進んで行きます

その奥に見えた建物(非公開)
名前も書いてあったかもしれませんが、控えていなかったので分からず😅

折れ曲がって廊下を進んで行きます

廊下沿いの建物(非公開)
こちらも同じく分からず泣き笑い


反対側に能舞台が見えました

解説
 能舞台は1880(明治13)年の両堂釿始(ちょうなはじめ)式の際に、白洲仮説用として組み建てられたもので、現在の位置には1937(昭和12)年から常設された。
 本願寺においては、蓮如上人が教化方法の1つとして「御文(おふみ)」とともに能・狂言を積極的に導入した。能・狂言上演の意味は、御遠忌(ごえんき)の円成(えんじょう)や、釿始、上棟式などを慶讃(きょうさん)することにあり、江戸時代以降の宗祖御遠忌法要、両堂再建の釿始、上棟式などには「式能」と呼ばれる儀式としての能・狂言が行われてきた。
 白書院を観覧席として建てられており、御遠忌等の大法要では「本願寺能」が舞われる。鏡板には、明治期京都画壇の重鎮・幸野楳嶺(こうのばいれい)の雄大な松が描かれている。
※松の絵は、平常時は養生のため板で覆われている。
(原文のまま)

その周りの庭園

動画も撮りました

渡り廊下から撮っています

渡り廊下から見た白書院
次回はこの白書院のことになります
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ