今回から今年の1月9日のことになります
この日は以前私見で紹介した第52回京の冬の旅への1回目の拝観へ行きました
いつものようにこの日のことを時系列でアップして行きますので、先言っておくと、長くなります🤣
そんなですが、良かったらお付き合いください🙇
下京区の駐車場に車をおき、まずは清水寺方面へ向かいます
高瀬川へ出ると銭湯・サウナの梅湯がありました

住所・京都市下京区岩滝町175
HPは無く、ツイッター サウナの梅湯
その前の高瀬川に架かるのが上ノ口橋

この橋を通っているのが上ノ口通りとなります
欄干はコンクリート造りなのに、路面が煉瓦敷きというのが印象的でした♪( *´艸`)

上流側

下流側

高瀬川沿いの西側の道は西木屋町通りとなります
そこを上がって行くと、川沿いに菊浜(学区)というこの辺りの案内がありました

右側にはお店の紹介や、行事の紹介、建築の紹介などもありました

紹介されてる建築
サウナの梅湯(建設年不詳)
Kaikado Cafe(1927年建設・2016年改修/登録有形文化財)
五条モール(大正末期)
たか橋(推定大正末〜昭和初期)
五條会館(1915年)
丸福樓(旧山内任天堂本社社屋)(1930年建設・2022年改修)
UNKNOWN KYOTO(大正頃建設・2019年改修)
(原文一部抜粋)
左側は地図で、どこにどんなものがあるかを知ることが出来ます👍

そして有名な大路小路だけでなく、知らないだけでこんなにも路地に名前があることに驚きました!
菊浜の歴史

菊浜学区は鴨川の西岸に沿って、五条通から七条通に至る短冊型に仕切られた学区です。
平安時代の中期以降には、源氏物語の光源氏のモデルと言われた左大臣源融の邸宅「河原院」の区域内にあたりました。河原院の籬(まがき)の森の名残である榎の大木が、学区の北東に位置する都市町に現存しています。
河原院は火災により消失し、平安時代の源平合戦から南北朝の戦いにかけてはたびたび戦場となりました。
江戸時代初期には、資材運搬を目的に、角倉了以、素庵父子が高瀬川の開削にあたり、慶長19(1614)年の開通以後、伏見、大阪を結ぶ交通の要地となりました。
その後の菊浜は、ふたつの性格をあわせもって発達していきます。
ひとつは、問屋が軒を連ねて賑わいをみせる高瀬川の荷上げの場としての一面。もうひとつは、五条橋及び七条橋付近を含む一部の地域が遊所化したことによる、高瀬川を行き来する人々の歓楽街としての一面です。
遊所の系譜は近代以降も受け継がれましたが、昭和33(1958)年になって法律で廃止されました。
明治から大正にかけて、路面電車・京阪電鉄が開通すると、高瀬川は全く利用されなくなってしまい、大正9(1920)年に舟運が廃止されました。しかし、それまで利用されてきた舟がくぐるためにかかった橋を、車が通れるように道と同じ高さに取り替えたので、交通が一挙に便利になり、まちも次第に近代化されていきました。
(原文のまま)
まちづくりのあゆみ

書きおこしはしませんが、文面を読んでいたらこんな街中でも空き家が増えたり、少子高齢化が問題になると考えると田舎ならなおさらのことだと改めて思いました🤔
清水寺方面へ向かう道中のことが続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ